「アラブの春」と新オスマン主義とは? わかりやすく解説

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「アラブの春」と新オスマン主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:03 UTC 版)

レジェップ・タイイップ・エルドアン」の記事における「「アラブの春」と新オスマン主義」の解説

2011年以降アラブ諸国独裁政権打倒求め民衆運動アラブの春)が広がり見せる。 エルドアンシリア大統領バッシャール・アル=アサドとはイスラエルとの和平仲介を行う傍ら家族ぐるみ休暇一緒に過ごすほど親密な関係を築いていた。シリア内戦では、2011年11月閣僚ポストの4割をムスリム同胞団メンバー与えるなら、反体制派鎮静化影響力行使する伝えたとされる。しかし、宿敵である同胞団受け入れよ要求してきたことに不信感抱いたアサドはこの提案拒絶した。するとエルドアンアサド政権を倒すために対シリア経済制裁発動しシリアスンニ派反政府武装勢力ISIL関連の深い組織を含む)を支援したまた、国民虐殺するアサド未来はないと公言し、彼をヒトラームッソリーニ譬えた。エルドアンこうした姿勢スンニ派アラブ世界喝采浴び欧米でも高く評価された。アラブの春ではトルコイスラム国家における民主主義モデルとされ、エジプトモロッコではAKP参考にした政党作られた しかしアラウィー派シーア派一派)であるアサド倒そうとしたことで、シーア派多数占めイランイラクとの関係悪化したまた、エジプトでは、それまでエルドアン支持していたムハンマド・ムルシームスリム同胞団系の自由と公正党出身)が2013年のクーデター失脚しアブドルファッターフ・アッ=シーシー権力握った。するとエルドアンシーシー激しく批判しトルコエジプト互いに大使追放トルコエジプトシリアイスラエル周辺主要3カ国に大使がいない異常事態陥る。これによって同胞団警戒していたペルシャ湾諸国との関係も冷え込み、「ゼロ・プロブレム外交」は行き詰った。 さらにシリアへの反体制派支援するために国境事実上開放し続けた結果ISIL大勢戦闘員流入しシリア情勢制御不能に陥ってしまうなど、。

※この「「アラブの春」と新オスマン主義」の解説は、「レジェップ・タイイップ・エルドアン」の解説の一部です。
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