「アラブの春」と新オスマン主義
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「レジェップ・タイイップ・エルドアン」の記事における「「アラブの春」と新オスマン主義」の解説
2011年以降、アラブ諸国で独裁政権打倒を求める民衆運動(アラブの春)が広がりを見せる。 エルドアンはシリア大統領バッシャール・アル=アサドとはイスラエルとの和平仲介を行う傍ら、家族ぐるみで休暇を一緒に過ごすほど親密な関係を築いていた。シリア内戦では、2011年11月に閣僚ポストの4割をムスリム同胞団メンバーに与えるなら、反体制派の鎮静化に影響力を行使すると伝えたとされる。しかし、宿敵である同胞団を受け入れよと要求してきたことに不信感を抱いたアサドはこの提案を拒絶した。するとエルドアンはアサド政権を倒すために対シリア経済制裁を発動し、シリアのスンニ派反政府武装勢力(ISILと関連の深い組織を含む)を支援した。また、国民を虐殺するアサドに未来はないと公言し、彼をヒトラーやムッソリーニに譬えた。エルドアンのこうした姿勢はスンニ派アラブ世界で喝采を浴び、欧米でも高く評価された。アラブの春ではトルコがイスラム国家における民主主義のモデルとされ、エジプトやモロッコではAKPを参考にした政党が作られた しかし、アラウィー派(シーア派の一派)であるアサドを倒そうとしたことで、シーア派が多数を占めるイランやイラクとの関係は悪化した。また、エジプトでは、それまでエルドアンが支持していたムハンマド・ムルシー(ムスリム同胞団系の自由と公正党出身)が2013年のクーデターで失脚し、アブドルファッターフ・アッ=シーシーが権力を握った。するとエルドアンはシーシーを激しく批判し、トルコとエジプトは互いに大使を追放。トルコはエジプト、シリア、イスラエルの周辺主要3カ国に大使がいない異常事態に陥る。これによって同胞団を警戒していたペルシャ湾岸諸国との関係も冷え込み、「ゼロ・プロブレム外交」は行き詰った。 さらにシリアへの反体制派を支援するために国境を事実上開放し続けた結果、ISILに大勢の戦闘員が流入し、シリア情勢が制御不能に陥ってしまうなど、。
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