「アメリカ産業界の英雄」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 04:44 UTC 版)
「リー・アイアコッカ」の記事における「「アメリカ産業界の英雄」」の解説
さらに1983年には、フォード時代にアイアコッカの右腕として活躍していたが、アイアコッカと同じくヘンリー・フォード2世との対立の末に解雇され、クライスラー社に転職したハロルド・スパーリック(初代フォード・マスタングの開発主任)のもとで開発されたアメリカ自動車初のミニバン、ダッジ・キャラバン、プリムス・ボイジャー(いずれもKエンジン・Kプラットフォームを拡張したSプラットフォーム採用モデル)が大ヒットし、同社を黒字化させた。 小型車で大ヒットを博したKエンジン・Kプラットフォームは小型車での採用のみならず、排気量拡大(やターボ化)、プラットフォームを拡張するなどして、前述のミニバンや、ニューヨーカー(Kエンジン・Kプラットフォームを拡張したEプラットフォーム採用モデル)などの中型車、レバロン・コンバーチブル(Kエンジン・Kプラットフォーム採用モデル)などのスポーティーカーへも流用された。 Kエンジン・Kプラットフォームは、1980年代から1990年代のクライスラーで多くの車種で共用されることとなり、同社の開発コスト低減に貢献し、多くの中・小型車を成功に導き、破産寸前とまでいわれたクライスラーを立て直し、数十万人のアメリカ人の雇用を守った。この功績により、アイアコッカは「アメリカ産業界の英雄」とまで称されるようになった。
※この「「アメリカ産業界の英雄」」の解説は、「リー・アイアコッカ」の解説の一部です。
「「アメリカ産業界の英雄」」を含む「リー・アイアコッカ」の記事については、「リー・アイアコッカ」の概要を参照ください。
- 「アメリカ産業界の英雄」のページへのリンク