「アラン・ドゥコーが語る」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 16:20 UTC 版)
「アラン・ドゥコー」の記事における「「アラン・ドゥコーが語る」」の解説
新番組「アラン・ドゥコーが語る(フランス語版)」として再開されたのは、ド・ゴール辞任後の1969年7月10日のことである。番組名は1981年に「話題の歴史」、1985年に「アラン・ドゥコーの記録」、1987年に「歴史に向かうアラン・ドゥコー」に変更され、また、プライムタイムに放映されて高い視聴率を維持したものの、他社との競合から、プライムタイムに映画や娯楽番組を放送することになると、夜の第2部、22時からに変更されたが、上述の番組廃止によるブランクを除いて、ドゥコーはテレビの歴史番組を通算35年間、ラジオの歴史番組を46年間担当した。好評を博した理由の一つは、歴史の教科書に書かれているような出来事や大学の講義で扱うような専門的な内容ではなく、たとえば、ルイ17世、ジェヴォーダンの獣、メデューズ号の筏、連続殺人犯アンリ・デジレ・ランドリュー、モンテ・クリスト島の謎、カリオストロ(詐欺師、フリーメイソン)の謎、ムッソリーニ政権と1924年のジャコモ・マッテオッティ書記長の暗殺、キケロ事件(第二次大戦中のドイツのためのスパイ行為)、サッコ・ヴァンゼッティ事件(冤罪事件)、長いナイフの夜(国家社会主義ドイツ労働者党による突撃隊などに対する粛清事件)、ルーダンの悪魔憑き事件(Affaire des démons de Loudun)、トロツキーの死、スタヴィスキー事件(第三共和政を危機に陥れた疑獄事件)、アラモの戦い(テキサス革命)、国家主義者による社会主義者ジャン・ジョレスの暗殺、バウンティ号の反乱、戦艦ポチョムキンの反乱、切り裂きジャック、ミュンヘン一揆(1923年)、カティンの森事件、鉄仮面、エルヴィン・ロンメルの最期、アンリ4世の暗殺といった特殊な人物や謎めいた事件を取り上げたことである。 ドゥコーは、プロンプターなしの生放送ということもあって、かなりの時間をかけて調査し、練習し、暗記した。「日本のいちばん長い日」と題して1945年の広島市への原子爆弾投下から日本の降伏までの経緯を説明したときには、日本人の名前を50近く暗記しなければならず、フランス人のドゥコーにとってはたやすいことではなかった。 また、歴史的事件を物語風に生き生きと語る、臨場感あふれる語りや演技力も視聴者を惹きつけた。作家のフランソワ・モーリアックは、「何もかも知り尽くした上で語りながら、しかも昔話のような語り口で語る」彼を「比類なき語り手」と絶賛した。 ドゥコーは半世紀近くにわたってテレビ・ラジオ番組、著書(および録音版)、新聞・雑誌への寄稿、さらに1960年には自ら歴史雑誌『みんなのための歴史(L'Histoire pour tous)』(月刊)を創刊するなどして、歴史の大衆化に貢献した。アナール学派の歴史学者ピエール・ノラは、彼が1980年に創刊した『ル・デバ(フランス語版)』誌で、歴史学が社会・経済構造にのみ関わる歴史の研究だけでなくミクロな歴史、彼が提唱した「新しい歴史学」への関心が高まるなか、ドゥコーが対象としてきた歴史上の特殊な人物や逸話、すなわち、これまで周辺に押しやられていた事象が、専門研究においても取り上げられるようになったと指摘した。
※この「「アラン・ドゥコーが語る」」の解説は、「アラン・ドゥコー」の解説の一部です。
「「アラン・ドゥコーが語る」」を含む「アラン・ドゥコー」の記事については、「アラン・ドゥコー」の概要を参照ください。
- 「アラン・ドゥコーが語る」のページへのリンク