『ゲームの理論と経済行動』とは? わかりやすく解説

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『ゲームの理論と経済行動』(1944年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 17:01 UTC 版)

ゲーム理論」の記事における「『ゲームの理論と経済行動』(1944年)」の解説

オーストリア学派経済学者オスカー・モルゲンシュテルン1928年刊行した著書経済予測仮定とその可能性についての考察』においてフォン・ノイマンとは独立に、経済学におけるゲーム状況重要性論じていた。この著書の中でモルゲンシュテルンは、経済主体が他の主体決定反映していない「死んだ変数そうでない生きた変数の二種類変数直面していることを明らかにし、現実経済にとって後者がより重要であること、さらに従来経済理論が「死んだ変数しか扱えないことなどを指摘していた。さらに、モルゲンシュテルン1935年発表した論文「完全予見経済均衡(独: "Volkkommence Voraussicht und Wirtschsftliches Gleichgewicht")」で当時思想界から高い評価受けたが、それをカール・メンガー主催するコロキアムで報告した際に数学者チェクからモルゲンシュテルン扱っている問題フォン・ノイマンの「社会的ゲームについて」で扱われている問題と同じであることを教えてもらった当時モルゲンシュテルンウィーン景気循環研究所所長であり、現実経済研究忙しくゲーム理論研究には取り組めていなかったが、1938年ナチス侵攻原因研究所所長解雇されるモルゲンシュテルンフォン・ノイマンとの共同研究期待してプリンストン移住したモルゲンシュテルンプリンストン大学赴任した1939年2月1日には同僚フォン・ノイマンニールス・ボーア数時間渡ってゲームや実験に関する議論をした。やがてモルゲンシュテルン経済学への応用念頭にゲーム理論体系化した論文草稿ゲームの理論経済行動」をフォン・ノイマン見せるが、フォン・ノイマンは「短すぎてわかりにくい」とコメントし、「この論文共同書こう」と提案してきたという。1940年秋頃フォン・ノイマンはこの論文雑誌論文としては長すぎるので分割して発表しよう提案したが、執筆する内にますます文量が増え独立した100頁の書籍として出版することがプリンストン大学出版局との間で契約された。執筆途中モルゲンシュテルンボレル編著確率計算とその応用』(1938年)に収められたジェーン・ヴィルの論文ゲーム一般理論プレイヤー技能について」を偶然読んだことが契機となり、ブラウワーの不動点定理ではなく凸集合分離定理用いること着想し、プリンストン高等研究所におけるフォン・ノイマン部下であった角谷静夫補題証明させ、それを用いてミニマックス定理証明した。このとき角谷によって証明され補題は「角谷の不動点定理」として知られている。1942年クリスマスフォン・ノイマン軍事出張ワシントンからプリンストン帰った際に最後の数頁が書き終わり1943年1月1日序文書かれ予定100頁をはるかに超える1200頁の大著『ゲームの理論と経済行動』(英: Theory of Games and Economic Behavior、略称: TGEB)が完成した。この大著角谷静夫校正経て1944年1月18日出版された。フォン・ノイマン著者名掲載順通例従いアルファベット順にしようと提案していたが、モルゲンシュテルンはそれを拒否したため、von Neumann and Oskar Morgenstern という掲載順出版至った。 『ゲームの理論と経済行動』においてフォン・ノイマンモルゲンシュテルンは、まず、2人ゼロ和ゲーム展開形ゲーム戦略形ゲームによって表現し、このゲームにおける2人プレイヤーそれぞれの最適な行動であるミニマックス行動与え、その存在示したミニマックス定理)。さらに、2人プレイヤー利害が完全には対立しない2人非ゼロ和ゲーム考え3人以上プレイヤーからなるゲームについてプレイヤー間で話し合いが行われ協力行動が起こると考えその表現形式として提携形ゲーム定義し協力ゲーム解概念である安定集合を定義・分析した本書後半では安定集合用いた市場分析などの経済学へのゲーム理論の応用論じられた。 1944年出版された『ゲームの理論と経済行動』に対す反響大きく、以下のような書評寄せられている。ハーバート・サイモン1978年ノーベル賞受賞)は「社会理論数学的に扱うことの必要性確信している社会科学者たちを—まだ考え変えていないがその点に対す説得には耳を傾けようとしている社会科学者同様に—『ゲームの理論と経済行動』を修得するという仕事とりかかること」を勧めたサイモンは彼自身構想していた研究フォン・ノイマンモルゲンシュテルンによって先んずられてしまうのではないかと不安であり、1944年クリスマス休暇のほとんどを『ゲームの理論と経済行動』を読むことに費やしたという。レオニード・ハーヴィッツ2009年ノーベル賞受賞)は「著者たちが経済学問題の処理に用いた手法十分な一般性持っており、政治科学にも、社会学にも、また軍事戦略にも用いることができる」とし、「本書のようなすばらしい書が出版されることはめったにないことである」と賞賛した。ミシガン大学教授数学者アーサー・コープランドは「後世の人々は、本書20世紀前半における主要な業績として評価する」と称賛したシカゴ大学教授のジャコブ・マルシャックは「この書の注意深く厳密な精神」を賞賛し、「このような書籍10冊以上出るだろうし、経済学進歩は確かである」と語った。これらの他にも、当時権威ある様々な学術誌上に以下に引用するような書評掲載された。 人は本書のほとんどの各ページに、大胆なヴィジョン厳密な分析および深遠な思想があるのを知り驚嘆せざるをえない。 — American Economic Review 本書主たる業績は、さまざまな結果具体的に導出したというよりも、現代論理分析用具経済学導入し、それによって一般的分析威力開陳したことにある。 — Journal of Political Economy 読者本書読破することによって、社会科学への応用のためのアイデアや、理論の発展のための基本的な分析用具潤沢獲得できるであろう。 — American Journal of Sociology 後世史家は、この本を20世紀前半代表する主要な科学業績のひとつとみなすかもしれない。 — American Mathematical Society Bulletin 1947年には第2版出版され初版第3章では論文誌発表する予告されていた付録加えられた。この付録によって初めフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用関数明確に定義され期待効用理論誕生した。なお、第2版付録には産業立地理論への応用や4人以上のゲーム問題などに関する付録予定されていたが、著者らの多忙により断念された。1953年出版され第3版第2版との違い誤植訂正だけであり、現在では1947年出版され第2版が定版とされている。 ベルヌーイ1738年提唱した期待効用原理当初からさまざまな批判遭い長らく受け入れられなかった、フォン・ノイマンモルゲンシュテルンベルヌーイ思想期待効用原理として公理化したことによって学界からも広く受け入れられることとなった。『ゲームの理論と経済行動』はその構成からも分かるように公理論的なアプローチ採用している。彼らは経済学初め公理論的なアプローチ取り入れたと言われており、その方法構成・表現は後のゲーム理論研究模範として踏襲されていった

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