『わらいおおかみ』撤収要求事件
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「さねとうあきら」の記事における「『わらいおおかみ』撤収要求事件」の解説
絵本『わらいおおかみ』(さねとうあきら文・井上洋介画)は、1973年、ポプラ社より刊行された。佐々木喜善の『聴耳草紙』に収められた「あさみずの里」と「狼石」を典拠に、作者が自由に発想した創作民話だった。 死助谷にあったという「どろぼう村」に、旅人が一旦迷い込んだら、生きては出られなかった。夜のうちに村人に殺され、遺体は谷間に放棄されて、狼の餌になった。ある時、この村にハンセン病の老婆がやってくるが、さすがに身ぐるみ剥ぐ気も起こらず、狼が集まってくる廃寺へ追い払う。その夜、廃寺のあたりから狼の声が聞こえ、老婆の姿は見えなくなったが、その日を境に、狼が人家を襲うようになる。怒った村人たちが、狼狩りを敢行すると、狼の巣には老婆がいて、「狼だって助けてくれたのに、人は自分を殺そうとする」と弾劾しながら、巣の中の子狼を守るため、全身に銃弾を受けて死ぬ。「お前たちは、人の皮をかぶったけだものだ!」と、その所行に哄笑を浴びせつつ……。 1974年11月、この絵本に対し福岡県の部落解放同盟田川地協子供会対策部より、作者、画家、出版社の三者に対し、即時撤収要求の書状が送られてきた。その理由は この物語の背景となった「地理的条件」は被差別部落と酷似している。谷間の陽もあたらない、耕作も出来ない劣悪な条件。「ひとごろし」「どろぼう」「人間の皮をかぶったけだもの」は、古来、部落民に投げかけられた言葉。 客観的にこの本が社会の中に与える「部落は悪」という影響ははかりしれない。死助谷の人々=部落民と想定し、死助谷の人々はおおかみより悪と強調している。 『わらいおおかみ』の即時撤収を要求したいが、どうか およそ以上であった。それに対し三者を代表して作者が「回答書」を作成、 この作品のテーマは、村里から疎外された者同士(ハンセン病の老婆と狼)の連帯と差別への怒りを表現したもので、地理的条件が酷似しているからといって、部落民=悪人と決めつけるのには飛躍がある。 一人の老婆の犠牲的行為によって、殺人と略奪を生業とする村人の行いに自省が生まれ、より人間性に根ざした変革に至る過程を描いており、長年いわれなき差別に苦しんだ被差別部落の人々にこそ、深く理解されるだろうと想定して、明確な「反差別」の視点で描かれている。 ただし「客観的な悪影響」の具体例として、部落外の一般の人々がこの絵本を読んで、「部落民=どろぼう」といった偏見を助長させてしまったら、作者としても等閑視してはいられない。それなりの措置(「撤収」を含む)をとるのにやぶさかでない と、制作者側の立場を明らかにした上で、「即時撤収要求」については、著作者としていささか疑義があり、次の「逆質問状」を送付した。 出版物の撤回要求は、実質的な「発禁処分」につながるが、部落解放同盟はいかなる根拠で「表現・出版の自由」を侵す権限があるのか 仮に撤回要求に正統な事由があったにせよ、それは部落解放同盟中央本部によってなされるのが筋で、一支部一部会の判断で行うのは、憲法で保障された民主的権利に対する冒涜ではないのか。また著作者側との慎重な討議の後に、撤収要求は最終的措置として行使されるべきではないか。 『わらいおおかみ』のようなアクチュアルなテーマは、今日の児童書出版界において異端の扱いを受けて排除されやすい。部落解放同盟の撤回要求により、このような作家・作品が抹殺されるのは必定であろうが、こうした措置が部落解放運動の発展に如何に寄与するのか、あきらかにされたい と、部落解放同盟福岡県連に回答を求めたのである。 その後、およそ10ヶ月にわたって、文書による著作者と部落解放同盟との論争は続いた。部落解放同盟福岡県連は調査団を岩手県に派遣して、伝承にある「あさみずの里」が被差別部落ではなかったか、それを突き止めるべく仔細に調べ、また著作者側も刊行物が安易に「発禁」とされるのを免れるため、部落解放同盟による撤収要求の正当性(「不当」と訴えたことは皆無だった)を確認するために、数次の督促状を送付した。1975年9月30日、解放教育研究所の事務局長中村拡三の斡旋で、『わらいおおかみ』の作者と部落解放同盟福岡県連をはじめ関係三団体との直接討論が実現し、6時間に及ぶ真摯な話し合いによって、双方納得の行く合意が成立した。部落解放同盟側は 全体的討議を経ないで「撤収要求」を出したのは、遺憾であった。今後、公刊物の撤回を要求する場合は、十分な内部討議を経てからとする。 さねとうあきら氏の創作の方向性を支持する。ただし、一般人がかりそめにも「部落=悪」と誤解しないよう、慎重な配慮を期待したい。 著作者側は、『わらいおおかみ』の「あとがき」などを工夫して、作意が曲解されぬよう十分配慮すると約束して、全面的に和解するところとなった。(「合意文書」は「解放教育」誌、1975年12月号に掲載されている) その後、「被差別部落の現状を、肌身で理解してほしい」との要望に応え、さねとうあきらは福岡・熊本・長崎などの部落解放同盟支部を歴訪、その成果を「創作民話」の形にして、部落解放同盟機関紙「解放新聞」に連載、『猪の宮参り』(1988年 明石書店)『おおかみがわらうとき』(1997年 明石書店)『福餅天狗餅』(2005年 解放出版社)などに収めて上梓。また解放教育研究所編集の人権読本『にんげん』に「ばんざいじっさま」「ふたりのデェデラ坊」「つるの便り」等のさねとう作品が採用され、解放教育を推進する有力な教材として、広く活用された。なお、絵本『わらいおおかみ』は、論争終結後も増刷されることなく、現在は絶版になっている。
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