「労働組合へ帰れ」とは? わかりやすく解説

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「労働組合へ帰れ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 02:57 UTC 版)

棚橋小虎」の記事における「「労働組合へ帰れ」」の解説

1920年5月2日友愛会ほか15組の労働組合新人会などの思想団体加えて上野公園において第1回メーデー開催した。このメーデー開催後メーデー参加団体協議会開き今後運動について継続的な連絡機関を設けこととして「労働組合同盟会」を創設した。この同盟に対して友愛会大きな影響力持ち労働運動の展開にさらに大きな役割を担うことになったが、また一方で隆盛しつつあった社会主義アナーキズムによって友愛会内部統制難し状況であり、会の統制諮るために一応麻生を「日本社会主義同盟」との連絡役にする程度留めていた。6月に入ると、棚橋富士紡績押上工場争議指導することになったが、この争議失敗という結果であった8月関東出張所管轄であった各支部自主的に労働運動展開できるようになったとして、各支部自主性広範囲認めて関東出張所解消して、「大日本労働総同盟友愛会 東京連合会」へと発展させた。この東京連合会において棚橋主事となり、9月には連合会書記松本中学校時代から棚橋親交があった上条愛一招いた10月開催され友愛会8周年大会において友愛会は「日本労働総同盟友愛会」と改称すると共に出張所制度廃し連合会とすること、理事制を廃し中央委員制とすること、各支部産業別職業別再編成すること、支部職業紹介所設けること、毎年メーデーを行うことが議決された。この議決と共に役員選挙が行われ、棚橋関東選出中央委員就任した。更に麻生中心として産業別支部結成向けて動いていたが、これに棚橋協力して10月20日全日本鉱夫総連合会を結成し棚橋相談役として名を連ねたその後三越争議指導足立製作所事件の後理などの活動展開し棚橋東京連合会の要として活躍をしていった1921年1月棚橋友愛会機関誌労働新年号に「労働組合へ帰れ」という論文発表した。 「労働組合つくってその力で労働者地位改善しようなどということはまだるい。われわれは手取り早く社会主義者となって直接行動をした方が早い。」 これはこのごろ労働者自身の口からよく聞く言葉である。けれどもそれは間違っている。直接行動とはいったいどういうことを意味するのか。直接行動とは、警官小ぜり合いをして、ひと晩警察止められたり、禁止革命歌高唱して大道を歩くことではあるまい。こんな直接行動では社会大革命はおろか資本家自動車一つ転覆することもできないだろう。こんな貧弱な直接行動を手頼りにして、労働者に取って大切な大切な労働組合労働者団結-を捨て去ろうとするのは狂気の沙汰ではないか直接行動最上の手本は、波蘭の対露戦争援助しようとした英国政府対し英国労働階級が行委員会作り、もし英国政府にして波蘭援助するならば、全英国の労働者は一令のもとに総同盟罷業をすると言って威嚇し態度である。英国政府はこの威嚇震え上がって波蘭援助思い止まった日本労働者よ。直接行動とはこういうことをいうのだ。直接行動という言葉玩具のごとくに玩弄して、直接行動飯事をやって嬉しがっている連中は、少し眼界高く大きくする必要があろう。 なるほど飯事玩具直接行動をやるには、別段強い労働者団結労働組合要らぬだろう。そんな事なら単独でもできる。しかしこんな玩具飯事で、われわれ労働者地位改善ができると思った大間違いだ。 真実に労働者地位向上させることのできる直接行動は、労働者大々的団結を必要とする。強大勇猛な労働組合必要だ諸君!急がば廻れだ。労働者最後決定的勝利を占めようとするには、まずそのまだるっこうい運動すなわち労働組合運動をすることが肝心だ警察官格闘する一人勇士よりも、穏やかな百人の人が団結した一つ労働組合がどれ丈け資本家にとって、権力者にとって恐ろしいか分らないのだ。「労働組合作って其力で労働者地位改善しようなどということはまだるっこい。われわれは手取り早く社会主義者となって直接行動をしたほうが早い。」と労働者いっているのを聞いて警察お役人薄気味悪い笑顔をしているではないか資本家は耳に口を寄せて占め占めといっているではないか労働者よ。考え直せだまされるなよ。 労働組合へ帰れ。それが労働者王国である。 — 前掲棚橋書、p.207-208 棚橋は「多忙静思する時間もないので、日ごろ頭を悩ましている最近労働運動動向についての感想を、東京連合会頭に浮かぶままに書き流し、ほとんど読み返しもせず本部送った」が、この論文一部急進的労働組合から強い批判浴びることになった4月3月起こった足尾銅山争議解決麻生と共に導いたが、サンジカリスト社会主義者急進的労働者はこれを「麻生らが直接行動をもって最後まで資本家抗争することを恐れ中途資本家争議売りつけたもの」と批判して知識階級指導者屈辱的妥協精神」にその罪が帰するとした。その後5月行われた第2回メーデーにおいてこの両者の相違明確化し、7月開催され東京連合会大会において棚橋にもその批判集中することになった。この大会において棚橋大会議長務めたが、サンジカリスト社会主義者急進的労働者などからの「知識分子排撃」に会って議事進行行えなくなり議長辞職余儀なくされた。更に棚橋はこうした東京連合会状況受けて東京連合主事についても辞職することになった。この主事辞職については友愛会幹部総会において慰留され顧問就任提案もあったが、棚橋自身思うところがあって受諾せず、最終的に主事辞職決定した。これは棚橋が「社会主義共産主義無政府主義労働組合運動の関係についてもっと研究して確乎たる信念をもちたいと考え」て、ヨーロッパソ連への外遊企図していたためで、辞職後に妻・孝子連れて大分県国東町移住して早速外遊向けて準備進めることになった

※この「「労働組合へ帰れ」」の解説は、「棚橋小虎」の解説の一部です。
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