「労働不能者」移送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 23:07 UTC 版)
「ウッチ・ゲットー」の記事における「「労働不能者」移送」の解説
1941年12月にユダヤ人評議会議長ルムコフスキはドイツ当局より2万人の「労働不能」なゲットー住民をヘウムノ絶滅収容所へ「移住」させよ、という最初の移送命令を受けた。これ以降も頻繁にドイツ当局から移送命令が下された。「移住」対象となる「労働不能」者の具体的な選定はユダヤ人評議会に一任された。ルムコフスキはゲットーの関係部門責任者を委員とする「移住委員会」を設置して「移住」対象者の選定を協議した。 まずゲットー内にいる5,000人のジプシーを全員「移住」させることが決定した。彼らは1941年12月のうちに真っ先にゲットーからヘウムノへ移送され、同地でガス殺された。続いて1942年1月15日からユダヤ人の移送も始まった。1942年5月末までにかけて、ウッチ・ゲットー内の5万5,000人のユダヤ人がヘウムノ絶滅収容所へと移送され、そこでガス殺された。移送された者の多くは貧困層の老人、子供、女性などであった。さらに1942年9月4日から12日にかけては中産階級以上のユダヤ人家庭の老人や子供たちも連行され、2万人がヘウムノ絶滅収容所へと移送されていった。 移送を指揮したゲットー警察長官レオン・ローゼンブラットはこの事について戦後にこう語った。 拒絶すれば、私も銃殺されたでしょう。私にとってはそれが一番楽な解決方法です。しかしその後にはどうなりますか。SSはこう言います。『ならば勝手に選び出すだけだ。』と。(略)しかし私が移送を任されていれば、志願者を募ることができます。志願者が殺到して要求された人数が集まる事もありましたから。足りない時は臨終間際の者、まだ足りない時は重病人、なお足りないときは罪を犯した者を移送しました。(略)それでも足りないときには、老人を連れていきます。でも、どこで線を引けばいいのでしょうか。お願いです。私の取った方法より良い方法があったというなら教えてください。 ユダヤ人評議会議長ルムコフスキも移送者たちの末路を報告された際に「命令だった。私は他人に手を汚させるよりは自分の手で実行したのだ。」と漏らしたという。 移送は初めはドイツ当局の命令を受けたゲットー警察によって行われ、彼らの方で収拾不能になった時のみ、ドイツ当局が武力介入していた。しかし間もなくゲシュタポが直接移送の指揮を執り、ゲットー警察は補助に回るようになった。 これらの移送によってウッチ・ゲットーに残されたユダヤ人は大多数が「労働可能」な者となった。1944年1月初めのウッチ・ゲットーの人口は8万人であったが、このうち6万2000人が労働者登録されていた。
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