労働組合へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:04 UTC 版)
1930年、食品チェーンの配送の職を得たが、大恐慌で失業者が街にあふれる中、労働条件は過酷で、倉庫で一日12時間シフトで働いた。時給32セントだった。次の貨物が来るまでの待機時間は支払われず、作業監督は些細な理由で人を解雇するなど横暴だった。1931年春、仲間と貨物の積み降ろしをボイコットする実力行使に出た。配送遅延を恐れた経営者を交渉テーブルにつかせ、労働契約を結んだ。ホッファのミニ組合はAFL(アメリカ労働総同盟、American Federation of Labour)に労働組合と認定された。1932年に会社から解雇される。
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