軽王子と衣通姫 登場人物

軽王子と衣通姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 04:19 UTC 版)

登場人物

雄朝津間稚子宿禰天皇(おあさづまわくごのすくねの すめらみこと)
允恭天皇が長い。皇后の妹・衣通姫を側室にする。御子の軽王子が衣通姫と密通したのを薄々気づくが、黙認して恕す。
皇后
雄朝津間稚子宿禰天皇の正妻。高貴な女人。忍坂大中姫。艶やかな妹・衣通姫を持つことが矜りであったが、妹君が天皇の側室となると、嫉妬に苦しめられる。
衣通姫(そとおりひめ)
皇后の妹姫。軽王子の叔母豊葦原中国にこれに勝る美顔はないほどの女人。高く結い上げた豊かな黒髪。新月のような額。しずかな若草の眉。その姿にが宿るかのような美しさは、白い裳の内からの光輝で曙いろに照り映え、その身の艶色が衣を通して晃る。近江坂田出身であったから、海の女体の神ではないかと噂された。
軽王子(かるのみこ)
雄朝津間稚子宿禰天皇と皇后の御子。木梨軽皇子。衣通姫の。豊葦原中国にまた見ること叶わぬような美しい壮夫(わかもの)。天日のように若く輝かしく、悩みと憂いが兆しかけた眉は凛々しい。父の天皇の面影がある。
穴穂皇子(あなほのみこ)
軽王子の弟宮。心荒い。天皇が崩御して一か月後、兄宮を捕えて、伊余に流し、自身が皇位に就く。安康天皇
大前小前宿禰(おおまえこまえのすくね)
弟宮・穴穂皇子の兵を逃れて、やって来た軽王子を裏切り、穴穂皇子に引き渡す。
石木の臣
軽王子の股肱。伊余に流された軽王子を慕い、戦をよく知る2、3の者を従えて追って来る。

作品評価・研究

『軽王子と衣通姫』は、発表当時は一般読者などから好評だったようであるが[10]文壇からは「時代ばなれの歴史小説」「皇室関係のことを忌憚なく書いた好奇好古の作品」と受け取られてほとんど注目されなかった作品である[17]

本多秋五は、『軽王子と衣通姫』が発表当時に文壇から注目されなかったことに言及しつつ、『三島由紀夫選集』にも収録されなかったことを不思議がり、「これは芥川の歴史小説に伍して毫も遜色のない天晴な作品であった」と高評価し、以下のように解説している[17]

「軽王子と衣通姫」は、時代錯誤の作品であったとしても、それは故意に時代錯誤を意図した戦後の作品であった。そこには恋愛のまじり気ない陶酔の絶頂にあらわれるの願望が語られている。これは三島的主題である。なんの人生経験のない少年三島由紀夫が、空想の絵の具で空想のものがたりを彩った夢想浮遊小説「苧菟と瑪耶」にそれは糸ひくものといえる。
これはずっと後の話になるが、深沢七郎の『楢山節考』の原稿を、あの新人募集の選者として三島が夜中によんでいて、ぞっと背筋が寒くなった、と選考座談会で語っているのをみて、それはそうだろう、三島はあれで虚をつかれたのだろう、と思ったことがあったが、それは私の間違いであった。「軽王子と衣通姫」のなかで、三島は古代の「」という観念にふくまれる恐怖をとらえている。 — 本多秋五「物語 戦後文学史」[17]

田坂昂は、父帝の寵姫であり叔母である姫と密通するを犯すのはではあるが、罪であるがゆえに逆に「極めて美しいこと」=「無垢の喜悦」であるという構造となっており、その論理をアイロニカルにもう一歩進めれば、「禁を犯すことの喜悦」は、「禁あればこそたのしさもあるという逆説を生む」とし[4]、さらにそれを極限的に進めれば、禁を犯してしまえば、そこにあるのは「死」だけであるという構造にいきつくと論考している[4]。そして、こういった論理構造を含みながら展開する『軽王子と衣通姫』の主題は、三島のいう「欠乏の自覚としてのエロスの論理」に繋がってゆくと田坂は解説している[4]

また田坂は、軽王子の生きた時代が、神代が人の世に移り変って、「死と愛への神の支配がやうやく疑はれて来た」時代であり、「祭事や軍事が恋と共に心の中に親しく住うた」時代ではなくなり、王子の心には「人の世の虚しさと死への希い」だけがあると考察し[4]、母皇后の託宣を、「柔らかな甘美な死」への誘いの声と王子が聞いたことに関して、夜見の国(黄泉の国)が「妣(はは)の国」を意味し、「怖ろしい国であるが、また懐かしい国でもある」ということに触れながら、そこから呼びかけてくる声は、『仮面の告白』の「根の母の悪意ある愛」の声と同じ場所から聞こえてくるものだと論考し、それは、「存在の母たちの国からの声」であり、「死とはその国へかえりゆくこと」だと解説している[4]

そして、その王子の時代に、戦後社会における、「悲劇的な死の希みが絶たれている」という三島の苦い感慨が寓意的に重ね合わされ、託されていると田坂は考察しながら[4]、『軽王子と衣通姫』は「“悲劇的なもの”を可能にした時代への挽歌」とみることができると解説している[4]。そして、王子が最後にで咽喉を貫く直前の言伝には、「悲劇を理会しあった過ぎし時代への記憶に殉じ、もはや悲劇的な死を死にえなくなった時代に矜りたかく別れを告げて黄泉の国へ旅立っていった者の声がきかれる」と田坂は述べている[4]

またそこには、敗戦と同時に訪れた「しらじらしい虚無感」で、「日常生活の復帰と支配の時代」が一層耐えがたいという、戦後社会へのアイロニーが重ねられ、「愛をものりこえ、この世に夢みるなにもなくなった時代への訣別の声をひびかせながら死んでいった軽王子のように、ただ王者の矜りをもって死ぬことだけが残されている」と三島が語っているのようだと田坂は考察しながら[4]、『軽王子と衣通姫』は一見「反時代的」だが、「意外にも時代の影を陰画的に宿している」作品だとし、「戦中の虚無感と敗戦によるもう一つの虚無感との、いわば虚無感の自乗のなかで、三島氏の身に迫ってきた戦後の人生の重さとの格闘がはじまりつつあった」と論考している[4]

小埜裕二は、この田坂の論を敷衍し、さらに三島の評論『日本文学小史』や、『軽王子序詩』[注釈 1]を分析しながら、『軽王子と衣通姫』には「戦後の天皇に対する三島の切実なある思いも込められている」と推測できるとし[5]、「戦争参加における〈死の甘美な夢想〉から即日帰郷および敗戦といった〈弛緩した日常〉に移ることにより生じた自己の空洞を埋めるために」、三島が自身を「貴種流離譚の主人公」として創作した作品だと考察している[5]

そして小林和子は、その小埜の論を踏まえながら、「昭和天皇の人間宣言」という戦後の現実や、「自らが王子たちのような陶酔のなかで死にゆくことも叶わなくなった現実」の中で三島は、軽王子と衣通姫に思いを託し、〈激しく急湍のやうに生きて年若くみまかつた美しい〉王子や姫に英霊たちを重ねて、彼らへの思いを胸にし、自らは、皇后(純粋な生と死に対して羨望を秘め、亡き天皇への「常住の愛」を抱いている)のように生きてゆくことより他ないことを、この作品の中で描こうとしたのではないかと論考している[6]

オペラ化

三島は『軽王子と衣通姫』の物語を元にして日米合作の親善オペラの台本を書いている[2][18]。これは当時日本に滞在中の作曲家ベン・リー・タフツ大尉の依頼を受けて執筆したもので、4幕物になっている[19][20]。しかしながら、タフツ大尉が朝鮮戦争の前線に赴くことになったため、企画は中断されてしまった[20]




注釈

  1. ^ 1954年(昭和29年)、雑誌『現代』8月号に掲載されたもの。

出典

  1. ^ a b c d e 川端康成宛ての書簡」(昭和21年8月10日付)。川端書簡 2000, pp. 46-48、38巻 2004, pp. 255-257に所収
  2. ^ a b c d 高橋重美「軽王子と衣通姫」(事典 2000, pp. 75-77)
  3. ^ a b 高橋睦郎「解説」(殉教・文庫 1982, pp. 329-334)
  4. ^ a b c d e f g h i j k 「II 遍歴時代の作品から――『仮面の告白』以前 3『岬にての物語』、『軽王子と衣通姫』と禁じられたもの」(田坂 1977, pp. 127-144)
  5. ^ a b c 小埜裕二「『軽王子と衣通姫』論―神人分離と戦後」(イミタチオ、1991年6月)。事典 2000, p. 77、小林 2001, p. 53
  6. ^ a b c d 小林 2001
  7. ^ 井上隆史「作品目録――昭和22年」(42巻 2005, pp. 388-389)
  8. ^ a b c d 田中美代子「解題――軽王子と衣通姫」(16巻 2002, pp. 755-756)
  9. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540-561)
  10. ^ a b c d e 「跋」(『岬にての物語』桜井書店、1947年11月)。26巻 2003, pp. 628-630に所収
  11. ^ a b 「年譜――昭和21年1月1日」(42巻 2005, p. 112)
  12. ^ 「第二部 平岡公威君の思い出」(三谷 1999, pp. 135-188)
  13. ^ a b c 「終末感からの出発――昭和二十年の自画像」(新潮 1955年8月号)。28巻 2003, pp. 516-518に所収
  14. ^ 私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日-5月23日号)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)、遍歴 1995, pp. 90-151、32巻 2003, pp. 271-323に所収
  15. ^ 「焦土の異端児」(アルバム 1983, pp. 22-64)
  16. ^ 縄田一男「作品解題」(縄田 1992
  17. ^ a b c 「戦後派ならぬ戦後派三島由紀夫」(本多・中 2005, pp. 97-141)
  18. ^ 「日米合作の親善オペラ――悲恋物語“軽王子と衣通姫”」(読売新聞 1949年12月9日号)。補巻 2005, pp. 140-141に所収
  19. ^ 埴谷雄高宛ての書簡」(昭和24年10月)。補巻 2005, pp. 230-231に所収
  20. ^ a b 井上隆史「解題――日米合作の親善オペラ――悲恋物語“軽王子と衣通姫”」(補巻 2005, p. 649)






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