チャールズ・ジェンキンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 13:33 UTC 版)
他の在朝米軍兵士
ジェンキンス以外のアメリカ軍から北朝鮮への逃亡兵として、ジェームズ・ドレスノク二等兵(1962年8月15日亡命)、ラリー・アレン・アブシャー上等兵(1962年5月28日亡命)、ジェリー・パリッシュ特技官(1963年亡命)の3名の存在が知られている[16]。ジェンキンスによると、アブシャーは1983年7月11日に心臓発作で、パリッシュは1997年8月25日に腎臓の持病の悪化で死去し[17]、北朝鮮政府も2007年に「既に北朝鮮国内で自然死した」と説明している[51]。ドレスノク二等兵は2016年に死去するまで北朝鮮で暮らし、北朝鮮政府への忠誠を表明していた[51]。ドレスノクとの確執は長く続いたが、北朝鮮生活の最後の数年には親しみさえ感じたという[19]。ドレスノクはジェンキンスがインドネシアに旅立つ前、孤独になることを恐れているようだった[35]。
脚注
参考文献
- チャールズ・R・ジェンキンス『告白』角川書店〈角川文庫〉、2006年9月(原著2005年)。ISBN 978-4042962014。
- Talmadge, Eric "Deserter Adjusting to Life on Japan Island". Associated Press. January 31, 2005.
- "U.S. Army Deserter to Seek U.S. Passport". Associated Press. February 28, 2005.
関連項目
- 曽我ひとみ
- 亡命
- 敵前逃亡
- 在韓米軍
- ラリー・アブシャー (1943–1983) - イリノイ州アーバナ出身。1962年5月28日脱走(当時19歳)
- ジェームズ・ドレスノク (1941–2016) - バージニア州リッチモンド出身。1962年8月15日脱走(当時21歳)
- ジェリー・パリッシュ (1944–1998) - ケンタッキー州モーガンフィールド出身。1963年12月脱走(当時19歳)
- ロイ・チュン - 1979年脱走
- ジョセフ・ホワイト (1961–1985) - ミズーリ州セントルイス出身。1982年8月脱走(当時20歳)
- en:List of American and British defectors in the Korean War
注釈
- ^ 彼の「脱走期間」は、非武装地帯(DMZ)を越えて北朝鮮入りした1965年1月5日から在日米軍基地キャンプ座間へ出頭する2004年9月11日までの約39年8か月で、米国陸軍に復帰した脱走兵では最長記録を更新した[5]。
- ^ ジェンキンス自身の記憶によれば、ビール10缶を一人で飲んで残り2缶は誰かにあげたという[13]。
- ^ 彼が逃亡したときの大統領はリンドン・ジョンソンであり、アポロ11号の月面着陸(1969年7月24日)よりも前であった[14] 。
- ^ この言葉にジェンキンスはなんと単純で場当たり的で奇妙な人間かと驚き、いつまでも忘れることができなかったと述べている[16]。ただ、のちに3人のなかでジェンキンスが一番仲良くなるのはアブシャーであった[16]。
- ^ ドレスノクは、平気で仲間を裏切り、簡単に幹部たちのイヌになってしまう人間であった[19]。ジェンキンスが何か違反行為をすると、幹部は彼を殴りつけるようドレスノクに命じ、ドレスノクは喜び勇んでそれに従うということが少なくとも30回はあったという[19]。
- ^ キム・ヘギョンは陸軍の車で空港に乗り付けた[31]。なお、曽我ひとみの北朝鮮での名がミン・ヘギョンであった[24]。ヘギョンは横田が親友である曽我ひとみの名をつけたものと考えられる[32]。
- ^ ブリンダは本来ブレンダのつもりで、異父妹の名によったという[29]。故郷の家族とつながりのある名前をつけたかったからだが、ほかの5人の姉妹たちを傷つけたくないという思いもあった[29]。ブレンダは末妹で母が再婚した後の子でもあり、この名前なら故郷の家族全員に敬意をあらわすことができるのではないかとジェンキンスは考えたという[29]。それがいつの間にかブリンダになってしまった[29]。
出典
- ^ “曽我ひとみさん夫、C・ジェンキンスさん死去”. 読売新聞. (2017年12月12日) 2017年12月12日閲覧。
- ^ “拉致被害者 曽我ひとみさんの夫 ジェンキンスさん死去”. NHK. (2017年12月12日). オリジナルの2017年12月12日時点におけるアーカイブ。 2017年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “Deserter Recalls N. Korean Hell”. CBS News
- ^ “ジェンキンス氏「アイドル的存在だった」 佐渡で悼む”. 朝日新聞デジタル (2017年12月13日). 2020年2月14日閲覧。
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- ^ 제킨스 부부 재회, 수교 실무 회담 곧 재개 - KBS NEWS(韓国放送公社)(韓国語)(KBSニュース9、2004年7月9日)
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- ^ 피랍 젠킨스 가족 일본 도착 - KBS NEWS(韓国放送公社)(韓国語)(KBSニュース9、2004年7月18日)
- ^ "Japan asks U.S. to pardon abductee's American husband", The Japan Times Online, May 16, 2004 (accessed April 18, 2010)
- ^ ジェンキンスさん、キャンプ座間に出頭
- ^ a b ジェンキンス(2006)pp.264-266
- ^ ジェンキンス(2006)pp.272-277
- ^ “Charles Robert Jenkins with Jim Frederick: The Reluctant Communist”, New titles, University of California Press 2008年3月15日閲覧。
- ^ Schoenfeld, Gabriel (2008-03-13), “Bookshelf: To Hell and Back”, The Wall Street Journal: D9 2008年3月15日閲覧。
- ^ a b ジェンキンス(2006)pp.285-286
- ^ “Jenkins gets permanent residency”. The Japan Times. (2008年7月16日) 2009年9月26日閲覧。
- ^ ジェンキンスさんに永住許可「死ぬまでここにいたい」. 読売新聞 Internet Japanese edition, July 15, 2008. Retrieved on July 16, 2008 (日本語).
- ^ “拉致被害者の曽我ひとみさん夫、ジェンキンスさん死去 元米軍人 77歳”. 産経新聞. (2017年12月12日) 2017年12月12日閲覧。
- ^ a b 山田敏弘「波乱の人生の平穏な最終章」『ニューズウィーク日本語版』 2017年12月26日号 p. 40-41.
- ^ a b "An American in North Korea", 60 Minutes, CBS Television. Produced by Robert G. Anderson and Casey Morgan. Reported by Bob Simon. First broadcast on January 28, 2007.
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