2003 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 06:24 UTC 版)
2003 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表(2003フィファじょしワールドカップにほんじょしだいひょう)は、2003年9月20日から10月12日にかけて、アメリカ合衆国で開催された2003 FIFA女子ワールドカップ[注 1]のサッカー日本女子代表チームである。
概要
4大会連続での参加となったが、そこまでの道のりは大変厳しいものとなった。
アジア予選を兼ねてタイ・バンコク行われた第14回アジア女子選手権では順当に勝ち抜くと思われていたが、3位決定戦で大韓民国に敗れて4位になってしまった。アジアの出場枠は3.5であったが、準優勝の中国が開催国返上により出場権を獲得していたため大陸間プレーオフへと進出することになり、北中米カリブ海3位のメキシコとの対戦で辛くも勝利を収めての本大会出場となった。しかしこの苦戦の末の勝利がマスメディアに大きく取り上げられ、斜陽といわれていた日本の女子サッカーが復活するきっかけになったといわれている。
本大会ではアルゼンチン戦で大谷未央がハットトリックをあげるなどの大量得点により6対0で勝利したが、次のドイツ戦では大会MVPとなるビルギット・プリンツを中心とした攻撃に翻弄され、0対3と大敗した。
引き分けでも決勝トーナメント進出できる状態で臨んだカナダ戦では澤穂希のゴールにより前半に先制するも、その後には不運ともいえる失点などから逆転され、同点ゴールと思われた大谷未央のヘディングシュートがオフサイドとされたのちにもう1点失ったため、グループリーグ敗退となった。
本大会登録メンバー
- 「出場状況」欄の「○」はフル出場、「
」は途中交代アウト、「
」は途中交代イン、数字は試合開始からの経過時間(分)、「
」は獲得得点をそれぞれ表す。
- 「年齢」「所属クラブ」は、開会式が行われた2003年9月20日時点。
背番号 | 選手名 | ポジション | 生年月日(年齢) | 所属クラブ | 出場状況 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アルゼンチン戦 9月20日 |
ドイツ戦 9月24日 |
カナダ戦 9月27日 |
||||||
1 | 山郷のぞみ | GK | 1975年1月16日(28歳) | ![]() |
○ | ○ | ○ | |
2 | 大部由美 | DF | 1975年2月15日(28歳) | ![]() |
○ | ○ | ○ | 主将 |
3 | 磯﨑浩美 | 1975年12月22日(27歳) | ![]() |
![]() |
![]() |
○ | ||
4 | 山岸靖代 | 1979年11月28日(23歳) | ![]() |
![]() |
○ | ○ | ||
5 | 酒井與恵 | MF | 1978年5月27日(25歳) | ![]() |
○ | ![]() |
![]() |
|
6 | 小林弥生 | 1981年9月18日(22歳) | ![]() |
![]() |
![]() |
|||
7 | 川上直子 | 1977年11月16日(25歳) | ![]() |
○ | ○ | ○ | ||
8 | 宮本ともみ | 1978年12月31日(24歳) | ![]() |
○ | ○ | ○ | ||
9 | 荒川恵理子 | FW | 1979年10月30日(23歳) | ![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
10 | 澤穂希 | 1978年9月6日(25歳) | ![]() |
![]() ![]() ![]() |
○ | ○ ![]() |
||
11 | 大谷未央 | 1979年5月5日(24歳) | ![]() |
○ ![]() ![]() ![]() |
○ | ○ | ||
12 | 小野寺志保 | GK | 1973年11月18日(29歳) | ![]() |
||||
13 | 中地舞 | MF | 1980年12月16日(22歳) | |||||
14 | 矢野喬子 | DF | 1984年6月3日(19歳) | ![]() |
○ | ![]() |
||
15 | 宮﨑有香 | 1983年10月13日(19歳) | ![]() |
|||||
16 | 山本絵美 | MF | 1982年3月9日(21歳) | ![]() |
○ ![]() |
○ | ![]() |
|
17 | 柳田美幸 | 1981年4月11日(22歳) | ![]() |
![]() |
||||
18 | 丸山桂里奈 | FW | 1983年3月26日(20歳) | ![]() |
![]() |
|||
19 | 須藤安紀子 | 1984年4月7日(19歳) | ![]() |
|||||
20 | 宮間あや | MF | 1985年1月28日(18歳) | ![]() |
![]() |
- バックアップメンバー(補充要員):GK・福元美穂 岡山湯郷Belle
スタッフ
監督
コーチ
試合結果
グループ C
- 各グループ上位2チームが準々決勝に進出。
チーム | 勝点 |
試合 |
勝利 |
引分 |
敗戦 |
得点 |
失点 |
点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 13 | 2 | +11 |
![]() |
6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 7 | 5 | +2 |
![]() |
3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 6 | +1 |
![]() |
0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 15 | -14 |
脚注
- ^ 1991年の第1回大会から1999年の第3回大会までは「FIFA女子世界選手権」であった。
外部リンク
「2003 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」の例文・使い方・用例・文例
- 2003年会計年度で
- 2003年、日本政府はクロルピリホスを規制した。
- 私は2003年にタイから日本に来ました。
- 2000年に日本の医療制度が世界一だが、2003年に研修医制度が始まって目に見えて悪くなった。
- 岩と氷の小惑星、冥王星の4分の3ほどの大きさ、2003年に発見された
- カナダの物理学者で、物質の構造を研究するため、原子核の中性子ビームを反射させた(1918年−2003年)
- 米国のカントリーミュージックのシンガーソングライター(1932年−2003年)
- カナダの俳優で、妻のジェシカ・タンディと登場人物のパートを頻繁に演じた(1911年−2003年)
- 米国の泳者で、1926年に英仏海峡を泳いだ最初の女性(1906年−2003年)
- 米国のテニスプレーヤーで、すべての主要な世界シングルス・タイトルを獲得した初の黒人女子選手(1927年−2003年)
- 米国の映画女優で、スペンサー・トレイシーと多くの映画で共演した(1907年−2003年)
- 米国のアーティストで、線で描かれた風刺画で知られる(1904年−2003年)
- 米国のコメディアン(英国生まれ)で、ビング・クロスビーと共に映画に出演した(1903年−2003年)
- 米国の演出家、映画監督(トルコ生まれ)で、メソッド・アクティングの信奉者(1909年−2003年)
- 米国の漫画家で、戦争中の兵士のスケッチが有名(1921年−2003年)
- 米国の社会学者(1910年−2003年)
- 米国の政治家で教育者(1927年−2003年)
- 最初の原子爆弾および最初の水素爆弾に取り組んだ米国の物理学者(ハンガリー生まれ)(1908年−2003年)
- 英国の哲学者で、道徳学をよみがえらせたことで高い評価を得ている(1929年−2003年)
- 2003年に中国本土でおそらく端を発する知られていない原因による呼吸器官の病
- 2003 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表のページへのリンク