1997年~2010年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 10:19 UTC 版)
「イギリスの鉄道フランチャイズ」の記事における「1997年~2010年」の解説
1997年の総選挙により保守党から労働党への政権交代が行われたが、新政権が民営化を止めるということはなかった。その反面、鉄道行政においていくつかの改革が行われ、その一つとして鉄道規制局(Rail Regulator)・運輸省鉄道局の一部と鉄道フランチャイズ庁を統合した戦略鉄道庁(英: Strategic Rail Authority)が設立された。新機関の目的の1つとしてイギリスの鉄道網が「単なるフランチャイズの集合体ではなく統合されたネットワークとして」機能するようにすることが挙げられ、このほかにも政府としての交通10か年計画である「トランスポート2010」が作成された。 戦略鉄道庁は2000年、2004年に7年契約のフランチャイズ18個が満了することに合わせ、フランチャイズを強固にし、投資をより行いやすくするために制度の変更をいくつか行うと発表した。しかし、同年に発生したハットフィールド脱線事故とそれによるレールトラック社の国有化・ネットワーク・レールの誕生により、計画の変更を余儀なくされた。なお、この間2000年交通法(英語版)が成立し、フランチャイズ庁の廃止と戦略鉄道庁の正式発足が行われている。 イースト・コースト・フランチャイズでは、レールトラック社による路線改良計画達成への不安から、21か月間の交渉が2001年7月に決裂し、契約長期化方針の見直しが浮上した。緊急措置として2年間の契約延長が選択され、ほかのフランチャイズに対しても適用された。 契約延長によって確保した時間を使い、2002年末には、戦略鉄道庁はサービス品質の改善のため、列車本数を定めた旅客サービス基準以外にも評価基準を設ける方針を固めた。同時に、契約期間を5年から8年の間とし、重要業績評価指標が高かった場合に延長を認める方式とした。費用と利益に対する姿勢も変更され、長期投資や良い業績に対しインセンティブの付与も行うようにした。さらに、入札前の情報の公開量を増やすことにより入札の簡便化・高速化を図った。 2005年鉄道法(英語版)では、戦略鉄道庁が廃止され、鉄道フランチャイズに関する業務はイングランドについては運輸省が、ウェールズについてはウェールズ政府(英語版)が(なお、形式上は運輸省の管轄下)、スコットランドについてはスコットランド政府が行うこととなった。同時に、費用増を独自財源で賄う/利益増を交通政策に使うことを条件として、運賃の設定権が地方自治体や自治政府へと移管された。また、各地方の旅客輸送局はフランチャイズ契約の当事者から外され、担当地域のフランチャイズに関する長期計画に関わったり諮問を受けたりすることとなった。ロンドンに関しては、運輸省はロンドンを発着するすべてのフランチャイズに関してロンドン交通局に対する諮問義務を負い、2007年にはロンドン外地域との利害衝突時の回避機構を組み込んだうえで拡大された。 2007年10月には、欧州連合が鉄道フランチャイズの契約期間の上限を締結時に最大15年間、一定条件を満たしたうえでの50%延長を含めて最大22年半までとすると決定している。 サービスや顧客満足度の向上が続いていたものの、制度への批判は完全にはなくならず、フランチャイズの契約方法や監視方法の変更がたびたびおこなわれた。例として2010年までには、フランチャイズ契約に信頼性向上の失敗に対するペナルティや重要業績評価指標の項目数削減などが行われている。
※この「1997年~2010年」の解説は、「イギリスの鉄道フランチャイズ」の解説の一部です。
「1997年~2010年」を含む「イギリスの鉄道フランチャイズ」の記事については、「イギリスの鉄道フランチャイズ」の概要を参照ください。
1997年 - 2010年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/05 03:22 UTC 版)
「JFA 全日本U-15サッカー大会」の記事における「1997年 - 2010年」の解説
参加資格は日本サッカー協会に登録された第3種チームであり、2000年からは女子チームも出場資格を得た。これに加えて、選手は開催年1月1日現在で14歳未満(いわゆるU-14)でなければならない。全国9地域の予選を勝ち抜いた9チームに加え、普及枠と呼ばれる2チーム分の枠を毎年持ち回りで2地域に配分、さらに前年度優勝チームを輩出した地域に1枠を与え、計12チームで全国大会を行った。なお、Jヴィレッジで開催されていた。 中学3年生の多数は出場できない点が高円宮杯や全国中学校体育大会(全国中学校サッカー大会)との違いである。 なお、本大会はナイキ協賛の世界大会であるナイキプレミアカップ(2003年からマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップに改称)の国内予選を兼ねており、優勝チームが世界大会への出場権を得る。これは国際サッカー連盟の主催ではないが、ジュニアユース年代にとって唯一の世界大会である。なお、世界大会の出場資格はU-15であり、中学3年生も出場可能となる。
※この「1997年 - 2010年」の解説は、「JFA 全日本U-15サッカー大会」の解説の一部です。
「1997年 - 2010年」を含む「JFA 全日本U-15サッカー大会」の記事については、「JFA 全日本U-15サッカー大会」の概要を参照ください。
1997年 - 2010年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 07:11 UTC 版)
「ミッレミリア」の記事における「1997年 - 2010年」の解説
その後数年間の空白期間の後、初回の日本版のプロデューサーで、フジテレビジョンから独立しヴェテランカークラブ東京の事務局長となった増田が、1997年より、日本で唯一国際クラシックカー連盟から公認を受けた本格的なクラシックカーレースとして「La Festa Mille Miglia」を毎年秋に開催することになった。 初回と違い基本的に日本国内からの出場者を中心とするものの、本家同様に当時参戦した実車とその同型車のみが参加できるタイムトライアル方式のクラシックカーレースとし、堺正章や近藤真彦、東儀秀樹、保坂尚輝、パンツェッタ・ジローラモ、西田ひかるなどの著名人が毎回参戦するなど本国同様の高い人気を博した。 全日程3泊4日で10月初旬~中旬の開催。ルートは東京都の原宿・明治神宮をスタート地点として北上し、福島県の裏磐梯で2泊しながら南東北を周遊して南下。栃木県茂木町のツインリンクもてぎで1泊し、スタート地点である東京都の原宿・明治神宮をゴール地点としていた。2010年の開催レースでは、ショパールではなくルイ・エラール(輸入元:DKSHジャパン)がオフィシャルタイムピースを発表していた。
※この「1997年 - 2010年」の解説は、「ミッレミリア」の解説の一部です。
「1997年 - 2010年」を含む「ミッレミリア」の記事については、「ミッレミリア」の概要を参照ください。
「1997年~2010年」に関係したコラム
-
CFDのトウモロコシ相場は、生産国や消費国の情勢、気候などにより値動きが大きくなります。この値動きは、テクニカル指標では分析できないほど荒い値動きになります。ここでは、過去のトウモロコシ相場を振り返り...
- 1997年~2010年のページへのリンク