1997年 - 2005年 アームストロングと自社の更なる拡張
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「トレック・バイシクル」の記事における「1997年 - 2005年 アームストロングと自社の更なる拡張」の解説
1997年、トレックは自社がスポンサーを務めていたUnited States Postal Service Pro Cycling Teamと元ロードレース世界王者のランス・アームストロングの契約を支援した。アームストロングは1999年にトレックの「5500」に乗ってツール・ド・フランスで初優勝し、アメリカン製の自転車に乗って、ツール・ド・フランスを制した初のアメリカ人となった。その後アームストロングはトレックの自転車に乗って7年連続でツール・ド・フランスを制覇した。しかし2012年、アームストロングのツール・ド・フランスでの勝利はドーピング違反によって取り消された。 詳細は「ランス・アームストロングのドーピング問題」を参照 1998年、トレックはテクノロジー開発に従事していたエンジニアを集め、アドバンスド・コンセプト・グループ(ACG)を設立した。ACGによって生み出されたトレックの最先端テクノロジーを採用した製品はツール・ド・フランスで勝利を重ねていたランス・アームストロングによって使用され、世間に広まった。トレックを代表する一台であるマドン(2003年)の最初の一台もその中の一つで、アームストロングがトレーニングや製品テストに使用したフランスの町メントンを起点とする12㎞の峠道「Col de la Madone」から命名された。タイムトライアルバイクのTTX(2005年)も同じくアームストロングによって世間に広まった。同年(1998年)トレックはアイルランドのカーローにヨーロッパ初となる製造拠点をオープンし、フレームやホイールの組立を行った。カーローの工場はトレックがヨーロッパの製造拠点をドイツのハーマンスドルフにオープンした2004年後半に閉鎖された。 2000年、女性サイクリストからの要望に応えるためにトレックはWomen’s Specific Design (WSD)バイクとアクセサリーを発表した。WSDモデルは女性専用に設計され、アパレルのサイズや見た目も女性に適したものが開発された。2001年秋、トレックはユーザーが自分の好きなペイントスキームやコンポーネントを選択できるカスタムバイクプログラム「プロジェクトワン」を発表した。 2002年12月、新しい市場の開拓を狙って、トレックは北米やヨーロッパでの高級でパフォーマンスの高い自転車の旅を提供するトレックトラベルを設立した。2007年1月にトレックトラベルはトレックから独立した。別会社となった後もトレックとトレックトラベルの良好な関係は続いている。2003年、トレックはスイスの自転車会社Villigerとドイツで最も古い自転車会社のDiamantを買収した。この買収によってトレックはヨーロッパで重要な市場であるトレッキングバイク市場への足掛かりを得た。またこの買収によって、トレックはドイツのハーマンズドーフにあったVilliger-Diamantの工場の所有権を得た。トレックの世界的な拡張は2005年も続き、中国の北京に販売店舗を2つオープンし、中国国内20の代理店と販売契約を結んだ。同じく2005年、トレックはウォータールーの本社で3回目となる増設を行い、新しく増設された4,000㎡のスペースにはエンジニアリング、研究開発、マーケティング部署が入った。この増設の一環で、トレックは商品展示スペース(アトリウム)を設置し、ゲーリー・フィッシャーによって初めて制作されたマウンテンバイク、アームストロングがツール・ド・フランスを制覇した7回それぞれの年(1995-2005年)に乗っていた自転車などの歴史に残る自転車を展示している。
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