1945年-1960年代
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「日本における同性愛」の記事における「1945年-1960年代」の解説
1945年太平洋戦争後初のゲイバー「やなぎ」が東京・新橋の烏森神社参道に開店。1955年に銀座にも出店。 1946年9月『三田文学』に女性同性愛作品「レスボス」が載る。同年10月20日『赤と黒』に「男娼秘話 男を女にする支那風俗物語」掲載。 1947年 -『奇譚クラブ』(12月号)に「僕の男妾の告白」が載る。(太平洋戦争後直後の同性愛を取り上げた雑誌記事一覧も参照)。 1949年 - 7月、三島由紀夫が同性愛を告白した『仮面の告白』上梓。 1950年代頃? - 東京に旅館「砂川屋」、大阪・新世界に同「竹の家」(1953年頃)開店。 1946年-1950年頃 - ゲイバー「ブランスウィック」(銀座)、「市蝶」(上野)、「夜曲」(新宿初)開店。 1951年新宿2丁目(現3丁目)初のゲイバー「イプセン」開店。 11月、昭和20年代の日本の同性愛世界を描いた三島由紀夫「禁色」(単行本)発行。 1952年会員制ゲイ雑誌『アドニス』創刊。三島由紀夫、中井英夫、塚本邦雄らが寄稿。 丸山明宏(美輪明宏)が銀巴里デビュー。 1954年 - 蘭屋が銀座から新宿2丁目千鳥街に移転。翌1955年、新宿2丁目(当時)要町に移転。 1956年 - 一高時代の下級生の美少年との淡い恋と失恋が綴られた福永武彦『草の花』刊行。 1958年 - 東京・南池袋に旅館「西武園」(後西武苑)開店。11月土居通芳監督の修道尼の同性愛を描いた作品『汚れた肉体聖女』公開。 1959年日本のメジャー映画初のゲイフィルムと呼ばれる木下恵介監督の『惜春鳥』公開。 大阪で会員制ゲイ雑誌『同好』(編集長・毛利晴一)創刊。 高橋睦郎が『ミノ・あたしの雄牛』で詩人としてデビュー。高橋氏は同性愛や少年愛について幅広く執筆している。 1950年代-1960年代半ば?頃 - 今の新宿2丁目ゲイタウン形成前で、新宿2丁目要町(現・3丁目)、新宿2丁目千鳥街(新宿御苑近く)、花園街(現・新宿ゴールデン街。区役所通り・三光町など含む)にゲイバーがいくらか集まる飲み屋街形成。 1960年1月、男性同性愛専用ページが常設された「風俗奇譚」創刊。 11月(?)、風俗奇譚が1961年1月号から女装専用ページ「女装愛好の部屋」常設。 1963年太平洋戦争後初のゲイ写真集で三島由紀夫を撮った『薔薇刑』(細江英公、集英社)発売。 東京・六本木に吉野ママこと吉野寿雄がゲイバー「吉野」を開店(2000年に六本木ヒルズ建設に伴い閉店)。 1964年- 司馬遼太郎の衆道を取り上げた「前髪の惣三郎」が収録された短編小説集「新選組血風録」(中央公論社)刊行(後、大島渚監督により映画化)。 1965年 - 『平凡パンチ』(2月15日)に「クールなセックスの時代 同性愛-なぜホモにあこがれるか」掲載。これ以降同誌で同性愛関連記事が増える(平凡パンチタイトル一覧:詳細欄参照)。平凡パンチ以外の太平洋戦争後の一般誌の同性愛記事については参照。「日本におけるLGBTの権利#メディア」も参照。 1960年代中後半頃か - 新宿御苑近くの「千鳥街」が新宿2丁目仲通り沿いの「新千鳥街」に移転。この頃から現在の2丁目ゲイタウンがスタート。(「新宿二丁目#ゲイタウンの歴史」も参照)。 1966年 - 矢頭保のゲイ写真集『体道・日本のボディビルダーたち』(ウエザヒル出版社)発売。 1967年 - カルーセル麻紀『愛して横浜』で歌手デビュー。 1968年稲垣足穂『少年愛の美学』(徳間書店)が三島由紀夫の後押しもあり、第1回日本文学大賞受賞。 10月、澁澤龍彦責任編集「血と薔薇」(天声出版)創刊。ゲイ雑誌でなかったがメールヌードや男色記事載る。 1969年 - ピーターが映画『薔薇の葬列』で俳優デビュー。同年『夜と朝のあいだに』で第11回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。
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