第二次大戦終結後(1945年~)
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「日本と南アフリカの関係」の記事における「第二次大戦終結後(1945年~)」の解説
日本の国際社会復帰後、まず両国の間で領事関係が再開されて、1952年に在プレトリア総領事館が、1964年には在ケープタウン出張駐在官事務所が設置された。 1960年代になると、アパルトヘイトにより南アフリカ連邦には国際的に制裁がかけられていたが、日本はこのころから積極的に天然資源を輸入し始めた。日本国籍を有する者は、1961年1月19日から、経済上の都合から「名誉白人」扱いとされていた。こうした経緯から、南アフリカの白人優位の政治に対する日本の立場には特にアフリカ諸国から非難が相次いだ。例えば、1983年には在日タンザニア大使のアハメッド・ハッサン・ディリア(英語版)が日本の観光客から出る利益が南アフリカのアパルトヘイト政策を強めていると指摘している。 1992年1月、半世紀ぶりに両国の正式な外交関係が再開され、同年2月に、在南アフリカ共和国大使館が開設された。
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第二次大戦終結後(1945年 - )
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「日本とバチカンの関係」の記事における「第二次大戦終結後(1945年 - )」の解説
1958年、日本政府は在日バチカン公使館を大使館に格上げした。 教皇のピウス12世は初代駐日バチカン市国特命全権大使として マクシミリエン・デ・フルステンブルク(英語版)を日本に送っている。現代の日本とバチカンは文化協力を行うなど友好関係にある。要人訪問も何度か行われており、1993年には明仁天皇(当時)が、2014年に安倍晋三首相が、2016年に秋篠宮文仁親王がそれぞれバチカンを訪問している。2019年11月には教皇フランシスコが日本を訪問している
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