二月堂修二会記録文書とは? わかりやすく解説

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二月堂修二会記録文書

主名称: 二月堂修二会記録文書
指定番号 159
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 293冊、2107通
時代区分 平安昭和
年代
検索年代
解説文:  東大寺二月堂修二会は、開山良弁弟子実忠天平勝宝四年(七五二)二月観音像安置して十一悔過行法修したのを創始とするといわれ、以来治承四年(一一八〇)平氏南都焼打寛文七年一六六七)の二月堂焼亡今次敗戦などのいくたびかの災禍があったにもかかわらず、これらを乗り越えて不退の行法意識されて現在におよんでいる。指定にあたっては、こうした二月堂修二会歴史的変遷考慮して第二次大戦終結後昭和二十一年一九四六)までをその範囲とした。
 本記録文書中心修二会中の参籠記録した二月堂中日記」であり、昭和二十一年まで総数二九三冊を数える。その内容体裁から三段階・三種からなり、①保安五年(一一二四)から宝暦十四年(一七六四)までを記録した「大双紙」と称される二月堂修中練行衆日記」(数年単位)、②両堂練行衆享徳三年一四五四)から文久三年一八六三)までを記録した双紙」と称される二月堂練行衆日記」(数年単位)、③貞亨五年(一六八八)から現在にいたるまで、堂司が記録する形式の「二月堂中日記」(各年単位)に分類されるいずれも良弁御忌日に当たる前年十二月十六日発表される上・下七日行法参籠する練行衆交名配役次第以下を記載し巻末において二月堂参籠間中起こった出来事修二会関連する記載等を記している。これらの記載記事中には、例えば、永禄十年一五六七)「眉間寺之城仁所松永彈正退治」という松永久秀三好三人衆との合戦記事など歴史上注目すべき事件記述含んで価値が高い。
 修二会時代が降るに従い練行衆日記併行して、六時之差帳、二七日時之数など各行別の法会文書和上等の記録した日記作法書が作成され、二、一〇七通を数える。
 二月堂修二会は現在にいたるまで連綿として続いているわが国唯一の法会であり、本記録文書法会歴史構成等研究する上に質・量ともに優れた史料群といえよう
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