二木長嘯収集石器類
主名称: | 二木長嘯収集石器類 |
指定番号: | 422 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 50箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 二木長嘯は飛騨高山の生まれ。名は俊恭、字は子敬。文化十一(一八一三)年、享年六十で没した。飛騨高山の漢学者、赤田臥牛を師として漢詩を学び、広く諸名家とも交渉した。特に明和八年以降、各地の弄石家【ろうせきか】との交流を続け、神代石収集家として名を成した。その中でも特に、近江の木内石亭と親交を持ち、その様子は神代石の製作や用途問題を論じた書状(寛政四年、一七九二)や、長嘯の神代石収集を「海内一」と称揚した、石亭からの書状四十五通等に窺える。 いま、長嘯の集めた石器と伝えられるものは数百点に及ぶが、自らの収集品として信頼性に乏しいものもある。しかし、各地を訪れて私蔵の石器類を披瀝した、懐中持ち用の『神代石図』一巻に描いた石器類は、長嘯収集品として確実視できる。本件はこの図巻に描かれた六十二箇の石器類のうち、現在伝存するもの五十箇である。 石器類は石棒、石冠【せきかん】、片側に猪首形の陽刻がある石棒、硬玉大珠【こうぎよくたいじゆ】等である。いずれも中部・北陸地方における縄文時代の石器類の中でも、特殊な用途に用いられたものが多く、長嘯の神代石に対する興味の一端が良く表われている。木内石亭など、江戸時代の著名な弄石家の収集品がほとんど散逸してしまっている現状のなかで、当時、神代石として珍重された石器類がまとまって存在する例は稀有であり、わが国の黎明期の考古学を考える上で貴重な事例である。 なお、木内石亭書状、長嘯自筆書状等は、長嘯の事蹟をみるうえに重要なものであり、『神代石図』一巻とともに附指定することとした。また、以上のほか長嘯収集と伝える多数の石器類、図巻類等も現存している。 |
考古資料: | 丹後国府中籠神社経塚出土品 丹後湯舟坂二号墳出土品 二彩浄瓶 二木長嘯収集石器類 京都府垣内古墳出土品 京都府大風呂南一号墓出土品 京都府奈具岡遺跡出土品 |
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