日本の国際社会復帰後(1952年~)
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「日本とサウジアラビアの関係」の記事における「日本の国際社会復帰後(1952年~)」の解説
1953年、日本政府は経済使節団をサウジアラビアへと派遣。1954年にはサウジアラビア国内でサンフランシスコ講和条約が批准され、翌1955年に国交が樹立した。これにより両国の関係が進展、日本が石油利権を手にする足がかりとなった。1957年には利権協定を締結、1958年にはアラビア石油が設立された。翌年には石油の試掘が開始され、翌々年となる1960年に試掘に成功した。 1960年、スルターン・ビン・アブドゥルアズィーズ(英語版)交通相が日本を初訪問、1971年5月には国賓としてファイサル第三代国王が日本を初訪問した。サウジアラビアと日本の二国間関係をさらに強化するため、両国はその後も度々互いの国を定期的に訪問している。 サウジアラビア王族と日本の皇族の間の関係はその後も進展、1981年には皇太子明仁親王と皇太子妃美智子(いずれも当時)がサウジアラビアを訪問した。 昭和天皇の崩御に伴い1989年2月に行われた大喪の礼、及び1990年11月に行われた明仁天皇即位の礼には国王名代としてナウワーフ・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード(英語版)王子が出席、1994年11月には皇太子徳仁親王・皇太子妃雅子(いずれも当時。令和時代の天皇・皇后)がサウジアラビアを訪問している。 1997年、当時の内閣総理大臣橋本龍太郎がサウジアラビアを訪問、ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ第5代国王と会談を行った。 1998年には、4月にリヤード州知事であるサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード王子(後の第7代国王)の来日に続いて、10月にはアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ皇太子(後の第6代国王)が日本を訪問、当時の内閣総理大臣小渕恵三と会談を行い、人材育成、教育、環境、文化・スポーツ、医療などの分野で協力を行う「21世紀に向けた日・サウジ協力共同声明」に署名した。 2001年、日本の外務大臣河野洋平が3つの分野でサウジアラビアとイニシアティヴ(通称 : 河野イニシアティヴ)を結ぶことを表明した。3つの分野とはイスラム文明世界との対話促進、水資源開発、幅広い政治対話の促進である。 2003年5月には小泉純一郎内閣総理大臣(当時)がサウジアラビアを訪問、日本とサウジアラビアにエジプトを加えた3カ国で相互対話を行う「日アラブ対話フォーラム」 (The Japan Arab Dialogue Forum) が設立され、3カ国間で定期的に会合を行っている。 2011年3月に起きた東日本大震災の際には、サウジアラビア政府より国営の石油会社であるサウジアラムコを通じて2千万ドル相当の液化石油ガス(LPG)が提供された。 2013年4月には安倍晋三内閣総理大臣がサウジアラビアを訪問、サルマーン皇太子(後の第7代国王)及びアブドゥッラー国王との会談の後「日本とサウジアラビアとの間の包括的パートナーシップの強化に関する共同声明」を発表、その後中東政策演説を行った。 2016年9月1日、安倍首相が来日したムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子(後の皇太子。第7代国王サルマーンの息子)と会談を行った。同年4月にサウジアラビアで閣議決定されたばかりの経済改革計画「ビジョン2030」を踏まえて、これを日本の成長戦略と連動させて両国の経済成長へと繋げるべく閣僚級の「日・サウジ・ビジョン2030(アラビア語版)共同グループ」を立ち上げて具体的な協力ついて議論することで意見を一致させた。 2017年3月12日、サルマーン国王が羽田空港着の特別機で来日し、サウジアラビア国王の訪日としては約30歳年長の兄ファイサル国王による1971年の訪日以来、実に46年ぶりの来日となった。 2019年6月に開催されたG20大阪サミットに出席するため、ムハンマド皇太子が再来日した(サルマーン国王の代理で出席)。
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