復元への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:48 UTC 版)
第二次大戦終結後、オランダは駐日大使を通じて首相の吉田茂に出島の復元を強く要求したとされている。出島を抱える長崎市は、オランダ側の働きかけもあり1951年(昭和26年)頃より出島の整備計画に着手。翌1952年(昭和27年)からは出島史跡内の民有地を用地買収する公有化事業に着手し、事業開始から半世紀が経過した2001年(平成13年)に完了した。1969年(昭和44年)からは1978年(昭和53年)には出島史跡の整備方針を検討する「長崎市出島史跡整備審議委員会」を設置しているが、この時点で後の復元事業に繋がる19世紀初頭の出島を復元するという指針が示された。 1984年(昭和59年)から2年にわたって、かつての出島の範囲を確認する調査を行った。その調査によって東側・南側の石垣が発見されている。また、当時の出島との境界がわかるように道路上に鋲を打った。
※この「復元への動き」の解説は、「出島」の解説の一部です。
「復元への動き」を含む「出島」の記事については、「出島」の概要を参照ください。
- 復元への動きのページへのリンク