1898-1905年:開始とは? わかりやすく解説

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1898-1905年:開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 05:21 UTC 版)

ローベルト・ヴァルザー」の記事における「1898-1905年:開始」の解説

1898年以降ベルン日刊新聞日曜版にヴァルザーの詩が発表され1902年5月から1903年8月まで、後に本として刊行される「フリッツ・コハーの作文集」が掲載された。 日曜版編集者J. V. ヴィートマンは紹介文で、ヴァルザーの雰囲気には「何か野生のままの純粋なもの、そして同時にきわめて繊細なものが表現」 されていると述べている。1899年以降文芸誌インゼル』もヴァルザーの詩や散文初期の小劇を掲載した。 この時代出版されたのは唯一初めての作品『フリッツ・コハーの作文集』であり、1904年インゼル社から刊行された。出版社都合であまり本は出版されなかったが、この初期にヴァルザーはきわめて生産的だった。この時期書かれ合計80篇の詩が遺されており、さらに戯曲テキスト散文作品もある。ベルリン時代になって刊行された作品集には、初期の詩多く含まれている:『詩集(Gedichte) 』(1909, カール・ヴァルザーによる16エッチング挿絵付き)の40篇の詩の大部分は、1898年から1900年にかけて様々な新聞雑誌(『ブント紙(Der Bund)』日曜版週刊誌フライシュタット(Freistatt)』、文芸誌オパール(Opale)』その他)で発表された。しかしそれらが本として刊行されたのは、ベルリン時代になってからのことだった。 『喜劇Komödie)』(1919)に所収された諸作品も、創作時期1900年頃に遡る。すでに1903年には戯曲出版計画されており、それはヴァルザーの出版社の手紙のやりとりの中で確認することができる。 『フリッツ・コハーの作文集』は元々は3巻本のうちの第1巻になり、第2、3巻として小劇と詩が出版されることになっていた。 1905年1月16日インゼル出版の手紙でヴァルザーは次のように書いている: 「無理を申し上げるつもりはないのですが、第2巻戯曲)の印刷始めることをお考えかどうか、ここに丁重にお伺いいたします第2巻にはさしあたり少年たち』『詩人』『灰かぶり姫』が含まれることになるでしょう。これらはすべてインゼル発表されおりますフランツ・ブライは、まもなく『詩』が出版されることを望みそうすればウィーンの 『ツァイト』 誌に、ある程度長さ論説を書くつもりだということです。」 ヴァルザーの最初本に対す論評好意的であったにもかかわらず売れ行き悪く、「1910年この本は値下げされたのち、まもなく投げ売りされた。」 かくして2、3巻が刊行されることはなかった。 この生産的な初期には方言作品『池(Der Teich)』も成立したが、これは1966年にローベルト・メヒラー(Robert Mächler)の伝記抜粋印刷され1972年、ヨッヘン・グレーフェン(Jochen Greven)編による全集第12巻(1)初め全体刊行される至った。『池』は方言書かれ唯一のテキストであり、ベルンハルト・エヒテ(Bernhard Echte)によって創作時期1902年推定されている。 したがって、ヴァルザーの初登場には詩も散文テキスト含まれていたということができる。散文形式は– 生活費を稼ぐためのフェユトニストとして、また小説家としても- 創作期全体通じてずっと維持されたが、詩の創作3つの時期に限られている:初期(1898-1905)、ビール時代末期(1919-1920)、ベルン時代(1924-1931頃)。 事務室で月が覗きこむ ぼくらを、月は見ている 雇い主厳し視線さらされて やつれきった哀れな事務員のぼくを。困りはて ぼくはぽりぽりうなじをひっかく。陽の当たる人生が続くそんなこと一度味わったとがない欠乏こそがぼくの運命、うなじをひっかくしかない雇い主視線さらされて。月は夜空開いた傷口星々はすべて 滴る血のしずく。花盛り幸運から遠くはなれているけれど、都合よくぼくは慎み深くできている。月は夜空開いた傷口。(1897/98) 最後の詩節には、ロマン主義もしくは当時非常に好まれていた新ロマン主義ありがちなクリシェーが用いられ、それが第1詩節描写され簡素な人生日常と、いわば「不器用に関連づけられている。初期散文作品同様に、ヴァルザーはここで時代遅れ硬直した文学形式を「下方からの」(下っ端事務員の)新し視点と結びつけ、それを新しい生で満たすことに成功している。ヴァルザーの初期テキストは−この点では批判意見一致しているが- 事務室という当時としてはまだ新しかったテーマ文学取り入れた事務員文学(Angestelltenliteratur) の初期の例みなされている。 『フリッツ・コハーの作文集』に所収されている散文テキストでも同様のふるまい見られる。ヴァルザーはここで、何千人もの学校生徒たち古典作家の例に倣って作文で書かなければならない使い古されテーマ扱っているが、その際直接アイロニーパロディ用いことはない。彼は与えられ形式対するほとんど奴隷のごとき崇拝によって、そうしたテーマの裏をかくのだ。それが彼の完全に非アイロニカル方法であり、きわめて凡庸なテーマ真面目に自分のこととして扱い新鮮なのであるかのように扱おうとする方法である。「自然について書くのは、とくに二学年Aクラス生徒にとっては難しい。人間についてなら、まあ何とかなる。人にはそれぞれ確固とした特徴がある。でも自然はとてもぼんやりとして曖昧で、とても繊細で、捉えがたく限りない。それでも僕はやってみようと思う。困難と格闘するのが僕は大好きだ。それは血管の中の血液駆り立て感覚刺激する不可能なことは何もない、とどこかで聞いたことがある。」(『自然』1902) ここではヴァルザーの全作品を貫く特徴がすでに際立っている。慎ましさへりくだり。しかしそれはあまりにも頑固なため、自分服従しているといいつつ服従する相手それだけいっそう弱らせ崩壊させるのだ。

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