1897年から1922年の探検
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「南極探検の英雄時代」の記事における「1897年から1922年の探検」の解説
注釈 下表の要約にはこれら遠征で行われた科学的作業を含んでいない。それぞれが幅広い分野にわたる発見物や標本を持ち帰った 下表にはこの時代に行われた多くの捕鯨遠征を含んでいない。また1898年から1899年のカール・チュンの南極圏に入らなかった遠征のような南極近くの遠征も含んでいない。また資金不足で失敗した1920年から1922年のコープ遠征も除外してある。この遠征ではノルウェー人捕鯨業者2人が南極の半島に上陸し1年間を過ごした。 † 印は隊長が遠征中に死亡したことを示す 年国遠征隊 name(s)船名隊長要約出典1897年–1899年 ベルギー ベルギー南極遠征 ベルギカ ジェルラシ, アドリエン・ドアドリエン・ド・ジェルラシ 南極圏の中では最初の越冬遠征、ベリングスハウゼン海で船が氷に捉えられた。初めて南極の1年を観察した記録を残した。南緯71度30分まで達し、ジェルラシ海峡を発見した。 1898年–1900年 イギリス 1898年イギリス南極遠征(サザンクロス遠征) サザンクロス ボルクグレヴィンク, カルステンカルステン・ボルクグレヴィンク 南極大陸上(ケープアデア)で初の越冬をした遠征。初めて犬と橇を使った。グレート・アイス・バリアに初めて上り、最南端は南緯78度30分まで進んだ。南磁極の場所も計算できた。 1901年–1904年 イギリス 1901年イギリス国営南極遠征(ディスカバリー遠征) ディスカバリーモーニング (救援船)テラノバ (救援船) スコット, ロバートロバート・スコット ヴィクトリアランドの西部山地に初登頂し、極地台地を発見した。南行きは南緯82度17分という最南端記録を作った。他にも多くの地形が発見され地図化され命名された。マクマード・サウンドを基地にした幾つかの遠征では最初のもの。 1901年–1903年 ドイツ 第一次ドイツ南極遠征(ガウス遠征) ガウス ドリガルスキー, エーリッヒ・フォンエーリッヒ・フォン・ドリガルスキー 南極大陸東部を調査した最初の遠征、皇帝ヴィルヘルム2世ランドとガウス山を発見した。探検船ガウスが氷に閉じ込められそれ以上探検できなくなった。 1901年–1903年 スウェーデン スウェーデン南極遠征 アンタークティック ノルデンショルド, オットーオットー・ノルデンショルド グレアムランドの東海岸を探索し、探検船が沈没した後はウェッデル海のスノー・ヒル島とポーレット島で孤立した。アルゼンチン海軍のウルグアイに救出された。 1902年–1904年 イギリス スコットランド国営南極遠征 スコティア ブルース, ウィリアム・スペアズウィリアム・スペアズ・ブルース サウス・オークニー諸島に恒久的なオーカダス気象観測所が設立された。ウェッデル海を74度01分まで進み、コーツランドの海岸線が発見され、海の東端が定義された。 1903年–1905年 フランス 第三次フランス南極遠征 フランセ シャルコー, ジャン=バティストジャン=バティスト・シャルコー 元々、立ち往生したノルデンショルド隊の救援が意図された。この遠征隊の主要な仕事は南極半島沿いグレアムランドの諸島と西海岸の地図化と海図化だった。海岸の一部が探検され、フランス大統領エミール・ルベにちなんでテール・ルベ(コート・ルベ、ルベ海岸)と名付けられた。 1907年–1909年 イギリス 1907年イギリス南極遠征(ニムロド遠征) ニムロド シャクルトン, アーネストアーネスト・シャクルトン シャクルトンが率いた最初の遠征。マクマード・サウンドを本拠地に、南極点へのベアードモア氷河ルートを開拓し、自動車を限定的に使った。南緯88度23分と最南端記録を更新し、南極点まで97海里 (175 km) まで迫った。北側部隊は南磁極に到達した。 1908年–1910年 フランス 第四次フランス南極遠征 プルクワ・パ? 4 シャルコー, ジャン=バティストジャン=バティスト シャルコー この遠征はベリングスハウゼン海を全体的に探検するという以前からの遠征目的を継続し、マルゲリート湾、シャルコー島、ルノー島、ミケルソン湾、ロスシルト島など諸島やその他の地形を発見した。 1910年–1912年 日本 日本南極探検隊 開南丸 白瀬矗 ヨーロッパ諸国以外では最初の南極遠征、エドワード7世半島の海岸を探検し、グレート・アイス・バリアの東部を調査して、南緯80度5分に達した。 1910年–1912年 ノルウェー アムンセンの南極点遠征 フラム号 アムンセン, ロアールロアール・アムンセン 最初に南極点に達した。アムンセンはクジラ湾のグレート・アイス・バリアにキャンプを設置した。アクセル・ハイバーグ氷河を通る南極点への新しいルートを発見した。アムンセン率いる5人の隊がこのルートにより1911年12月14日に南極点に達した。 1910年–1913年 イギリス 1910年イギリス南極遠征(テラノバ遠征) テラノバ スコット, ロバートロバート・スコット† スコットによる最後の遠征、最初のときと同じくマクマード・サウンドを本拠にした。スコットと他に4人の隊員が1912年1月17日に、ベアードモア・ルートを通って南極点に達した。アムンセン隊に遅れること33日だった。5人全員が帰路に飢えと寒さのために死亡。 1911年–1913年 ドイツ 第二次ドイツ南極遠征 ドイッチュラント フィルヒナー, ヴィルヘルムヴィルヘルム・フィルヒナー 遠征の目標は南極大陸の最初の横断。ウェッデル海の当時としては最南端、南緯77度45分まで進み、ルイトポルド海岸、フィルヒナー・ロンネ棚氷、バシェル湾を発見した。大陸横断のための海岸基地設立に失敗し、ウェッデル海の氷に閉ざされて長期漂流した後に、サウスジョージアに戻った。 1911年–1914年 オーストラリア と ニュージーランド オーストラリア南極遠征 オーロラ モーソン, ダグラスダグラス・モーソン この遠征はケープアデアとガウス山の間の南極海岸線に集中し、海岸や内陸の地図化と測量を行った。コモンウェルス湾、ニニス氷河、マーツ氷河、クイーンメアリーランドを発見。 1914年–1917年 イギリス 帝国南極横断探検隊 エンデュアランス シャクルトン, アーネストアーネスト・シャクルトン 大陸横断の試み。エンデュアランスが氷に閉ざされ潰れた後で、ウェッデル海で上陸に失敗。流氷の中での長期漂流、シャクルトンのボートによる移動、サウスジョージアへの最初の渡海など一連の行動によって自らを救済した。 1914年–1917年 イギリス ロス海支隊(帝国南極横断探検隊の支援) オーロラ マッキントッシュ, イニーアスイニーアス・マッキントッシュ† その目的はウェッデル海を越えて来る隊のために、グレート・アイス・バリアに補給物資を置くこと。必要とされる物資を全て置いたが、その過程でマッキントッシュを含め3人が死亡した。 1921年–1922年 イギリス シャクルトン=ローウェット遠征 クエスト シャクルトン, アーネストアーネスト・シャクルトン† 目的がはっきりしていなかったが、海岸の地図化、大陸の周航、亜南極諸島の調査、海洋学調査が含まれていた。1922年1月5日にシャクルトンが死亡し、クエストは短縮された日程をこなして帰還。
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