14区 (パリ)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 14区 (パリ)の意味・解説 

14区 (パリ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 00:28 UTC 版)

パリ・14区の位置
パリ・14区の位置

パリ14区 (14く、14e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第14区、パリ14区ともいう。市の南部にあり、セーヌ川の南側に位置している。

概要

パリの14区は、13区とともに、市の南部にある行政区。「オプセルヴァトワール区 (Arrondissement de l'Observatoire)」と呼ばれることもある [2]セーヌ川の南の地域にある。南には、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれており、南東はヴァル=ド=マルヌ県に、南東以外はオー=ド=セーヌ県に接している。人口は、132,844人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその14番目にあたることから、「14区」と名づけられた。14区の北部を中心に、6区7区15区の一部にかけての地域はモンパルナスと呼ばれ [3]モンマルトルとともに"芸術の街"として世界的に名が知られており、高村光太郎藤田嗣治ら、日本人の芸術家たちも多く集まった [4]。また、区内には、パリ天文台、モンスーリ公園、モンパルナス墓地などがある。

地理

パリ・14区の観光概略図

14区は、13区とともに、パリ南部に位置している。セーヌ川の南の地域にある [5]。面積は、5.62 平方キロメートル。

北は、同じパリの行政区である6区に接しているが、北東の一部は5区に接している。南は、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形でパリ市の境界線が敷かれ、ヴァル=ド=マルヌ県オー=ド=セーヌ県の各自治体、南東はジャンティイ、南はモンルージュ、南西はマラコフに接している。東は13区に接し、西は15区に接している。

隣接する自治体(行政区)

地区(カルチェ)

パリ・14区のカルチェ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。14区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

  • 53 - モンパルナス地区 (Quartier du Montparnasse)
  • 54 - モンスーリ公園地区 (Quartier du Parc Montsouris)
  • 55 - プティ=モンルージュ地区 (Quartier du Petit-Montrouge)
  • 56 - プレザンス地区 (Quartier de Plaisance)

住民

人口

14区の人口は、1954年に181,414人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の132,844人となった。2005年の推計では134,700人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の7割程度の23,634人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 69,611 1,851,792 3.76% 12,384 21,303
1954年 181,414 2,850,189 6.36% 32,274 32,788 人口がピークに達する。
1962年 178,149 2,790,091 6.39% 31,693 32,097
1968年 167,093 2,590,771 6.45% 29,727 29,804
1975年 149,137 2,299,830 6.48% 26,532 26,457
1982年 138,596 2,176,243 6.37% 24,657 25,035
1990年 136,574 2,152,423 6.35% 24,297 24,761
1999年 132,844 2,125,246 6.25% 23,634 24,449
2005年 134,700 2,166,200 6.22% 23,964 24,920 人口は推計。

歴史

政治・行政・司法

画像をクリックして拡大

主な官公庁・公共機関

ル・ドーム

経済

主な店舗・商業施設

カフェないしブラッスリー
ファッション

安全

警察等

コシャン病院

健康・福祉

左はコシャン病院の裏側。奥に見えるドーム建築はパリ5区のNotre-Dame du Val-de-GrâceRue de la Santéから北を見る。
サンタンヌ中央病院。1651年、王妃アンヌ・ドートリッシュの寄附で造成された。

保健・医療

  • フランス赤十字社本部 (Croix-Rouge Française (CRF))- 14区の南西部、ディド通り沿いにある。
  • コシャン病院 (Hôpital Cochin
  • サン=ヴァンサン=ド=ポール病院 (Hôpital Saint-Vincent-de-Paul
  • サン=ジョセフ病院 (Hôpital Saint-Joseph
  • サンタンヌ中央病院 (Centre Hospitalier Sainte-Anne
  • ノートル=ダム=ド=ボン=スクール病院 (Hôpital Notre-Dame-de-Bon-Secours
  • ブルッセ病院 (Hôpital Broussais
  • ラ・ロシュフコー病院 (Hôpital La Rochefoucauld

生活

上水道

  • モンスーリ貯水池 (Réservoir de Montsouris) - パリ市内に飲料水を供給している貯水池のひとつ。

墓地等

学術・研究

研究施設

  • 育児学・周産期医学研究所 (Institut de Puériculture et de Périnatalogie
  • パリ天文台 (Observatoire de Paris)

教育

国際館、国際大学都市

大学等

その他

  • 国際大学都市 (シテ・アンテルナシオナル・ユニヴェルシテール・ド・パリ、Cité Internationale Universitaire de Paris
    • ジュールダン大通り(Boulevard Jourdan)17番地にある、大学等高等教育機関の各国学生・研究者向けの各国別学生寮ないし学生会館がある。

宿泊施設

オテル・イストリア (Hôtel Istria)

主な宿泊施設

文化施設

美術館・博物館

映画館・劇場

  • モンパルナス劇場 (Théâtre Montparnasse)

宗教施設

サン=ピエール=ド=モンルージュ教会
同教会のクワイヤないし身廊 (Choeur, église Saint-Pierre-de-Montrouge)

教会・寺院

観光・憩い

建築

公園・緑地等

  • アスピラン=デュナン公園 (Square de l'Aspirant-Dunand
  • アベ=ミーニュ公園 (Square de l'Abbé-Migne
  • クロード=ニコラ=ルドゥー公園 (Square Claude-Nicolas-Ledoux
  • ジャック=アントワーヌ公園 (Square Jacques-Antoine
  • ジュリア=バルテ公園 (Square Julia-Bartet
  • セルマン=ド=クフラ公園 (Square du Serment-de-Koufra
  • フェルディナン=ブリュノー公園 (Square Ferdinand-Brunot
    • 第14区役所の南側にある。
  • モンスーリ公園 (Parc Montsouris)
ダンフェール=ロシュロー広場

旧跡・記念碑等

交通

画像をクリックして拡大

鉄道

高速道路・有料道路

画像をクリックして拡大
  • ペリフェリック(パリ環状道路)(Boulevard Périphérique
    • ポルト・ド・ジャンティイ - ポルト・ドルレアン - ポルト・ド・シャティヨン - ポルト・ド・ヴァンヴ

道路

  • アラゴ大通り(Boulevard Arago
    • 13区5区の境界線上を東西に走るサン=マルセル大通りが、5区と13区内中心部イタリー広場の間を南北に伸びるゴブラン大通りとの交差点で、下記区境を走るポール=ロワイヤル大通りとアラゴ大通りとに分岐し、アラゴは14区内中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ)まで東西に伸びてゆく。
  • アレジア通り(Rue d'Alésia
    • 14区内南側を東西に伸びる通り。東側で13区内から伸びるトルビアック通り (fr) と、西側で15区内のヴィエ通り (fr) と接続する。14区内南側中央のヴィクトーレ=エレーヌ=バシュ広場 (Place Victor-et-Hélène-Basch) で下記ジャン=ムーラン、ジェネラル=ルクレール、メーヌ各大通りと交わる。
  • オプセルヴァトワール大通り(Avenue de l'Observatoire
    • リュクサンブール庭園、グラン=エクスプロラトゥール・マルコ=ポーロ・エ・カブリエ=ド=ラ=サール庭園東側に沿って走るサン=ミッシェル大通りから引き続いて南北に伸びる通り。モンパルナス大通りと交差し14区内に入りパリ天文台界隈まで続く。
  • カンパーニュ=プルミエール通り(Rue Campagne-Première
    • 下記ラスパイユ大通りと下記モンパルナス大通りとを繋ぐ、著名な文化人らが多く居住した通り。ラスパイユ大通り側にメトロ ラスパイユ駅が最寄りのイヴ=クライン公園があり、モンパルナス大通り側では、パブロ=ピカソ広場(旧ヴァヴァン交差点)の東側先に接続する。
  • ゲテ通り(Rue de la Gaîté
  • サレット通り(Rue Sarrette
  • サン=ジャック大通り(Boulevard Saint-Jacques
    • 14区内中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ)から区内を東側方向に走り、13区内でオーギュスト=ブランキ大通りと名を変え、途中ル・モンド社屋を横に見て、同区内中心部イタリー広場に辿り着く。反対に、ダンフェール=ロシュロー広場から西側へはフォワドゥヴォ通り (Rue Froidevaux) が走り、モンパルナス墓地南側沿いを抜け、モンパルナス駅南東界隈で南東に伸びる下記メーヌ大通りと交差する。アンリ・カルティエ・ブレッソン財団がある同交差点から西側へは、名を変えジャン=ザイ通りが同駅南側界隈にあるカタローニュ広場へ走り、その先、モンパルナス駅からの鉄道線路帯を越えると15区になる。
  • ジャン=ムーラン大通り(Avenue Jean-Moulin
  • ジュールダン大通り(Boulevard Jourdan
  • ジェネラル=ルクレール大通り(Avenue du Général-Leclerc
  • ダゲール通り(Rue Daguerre
  • ダンフェール=ロシュロー大通り(Avenue Denfert-Rochereau
    • カルチエ・ラタンを南北に伸びるサン=ミッシェル大通りから続くオプセルヴァトワール大通りと、東西に走るモンパルナス大通りとの交差点から、オプセルヴァトワール大通りに引き続いて14区内をダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)界隈まで南北に走る。
  • ディド通り(Rue Didot
  • デパール通り(Rue du Départ
    • 文字通り"出発通り"。モンパルナス駅前広場からモンパルナス駅東側を南北に縫うように走る通り。15区側駅西側は同様にアリヴェ通りが通るが、文字通り"到着通り"。
  • ドランブル通り(Rue Delambre
    • 東西に走るモンパルナス大通りと南北に走るラスパイユ大通りとの交差点付近が起点の通り。14区内を南西に走り、モンパルナス駅前から南東に伸びるオデッサ通り、モンパルナス"大通り"を起点に南北に伸びるモンパルナス"通り"のこれら2通りとモンパルナス墓地北側で交差する。
  • トンブ=イソワール通り(Rue de la Tombe-Issoire
  • ピエール=ド=クーベルタン大通り(Avenue Pierre-de-Coubertin
  • フォーブール=サン=ジャック通り(Rue du Faubourg-Saint-Jacques
  • ブラール通り(Rue Boulard
  • プラント通り(Rue des Plantes
  • ブリュヌ大通り(Boulevard Brune
  • フロワドヴォー通り(Rue Froidevaux
    • ダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)からサン=ジャック大通りに続く、14区内を東西に伸びる通り。
  • ペール=コランタン通り(Rue du Père-Corentin
  • ヴェルサンジェトリクス通り(Rue Vercingétorix
  • ポール=ロワイヤル大通り(Boulevard de Port-Royal
    • 南北に走るオプセルヴァトワール大通りとの交差地点で、東西に走るモンパルナス大通りから名を変え引き継いで主に西側5区と13区との境界線上を同様に東西に走る。また、フォーブール=サン=ジャック通りとの交差地点界隈に旧パリのポール・ロワイヤル修道院 (fr)、病院と産院、コシャン病院がある。最寄りはRERのポール=ロワイヤル駅。
  • メーヌ大通り(Avenue du Maine
    • 15区に属するモンパルナス駅西側界隈から南東方向、14区内を右斜め下に走り、区内南側中央のヴィクトーレ=エレーヌ=バシュ広場 (Place Victor-et-Hélène-Basch) で上記アレジア通り、ジャン=ムーラン、ジェネラル=ルクレール各大通りと交わる。
  • モンパルナス大通り(Boulevard du Montparnasse
    • 14区と6区との境界線上を東西に走り、通り東側ではリュクサンブール庭園南隣接グラン・エクスプロラトゥール庭園(マルコ・ポーロカブリエ・ド・ラ・サール庭園)南側オプセルヴァトワール大通りとの交差点で、主に5区と13区との境界線を東西に走るポール=ロワイヤル大通りに、反対に通り西側では、7区アンヴァリッドへ向かうアンヴァリッド大通りにそれぞれ接続する。モンパルナス駅前から通り東側方向へ、特にラスパイユ大通り交差点メトロヴァヴァン駅界隈パブロ=ピカソ広場(旧ヴァヴァン交差点)にかけて、モンパルナス駅前のステーキレストランないしブラッスリーHippopotamus, ブラッスリーLa Ruche はじめ, ブラッスリーLa Coupole (ラ・クーポール), Café L'Atelier, ブラッスリーLe Select, ステーキレストランLe Relais De L'Entrecôte, レストランLa Rotonde, レストランLe Dôme, Bistrot(ビストロ) du Dôme, ブラッスリーLa Closerie des Lilas ・・等が軒を連ねる。
  • サンテ通り(Rue de la Santé
    • サンテ刑務所に面した道路。フォーブール=サンジャック大通りの東側を並走する、13区との境界を南北に走る通り。区内南部を東西に走る上記アレジア通りとの交差点まで走る。通り北から順に、東西に走るアラゴ大通りと交差し、サンテ監獄、コシャン病院、東西に横切るサン=ジャック大通りを越えると、通り周辺界隈に高等研究実習院があり、通り名の由来となったサンタンヌ中央病院・・がある。アレジア通りとの交差点の先を進むとモンスーリ公園がある。なお、サンテ刑務所では、1909年には40人の死刑囚が、1939年には殺人犯マックス・ブロックが、アラゴ大通りとの交差点界隈でギロチン公開処刑に処された[12]。同1939年に処刑は非公開になり、1972年に2人の死刑囚を最後にギロチンでの非公開処刑が執り行われた。1981年には死刑制度が廃止された[13]
  • ラスパイユ大通り(Boulevard Raspail
    • バック通りやサンジェルマン大通りが接続する7区内のルネ=シャール広場から、ボン・マルシェ百貨店やホテル・ルテシア等があるセーヴル通りと交差しながら6区内を斜めに横切り、モンパルナス大通りとの旧ヴァヴァン交差点パブロ=ピカソ広場界隈で14区内に入る。同交差点界隈は著名なレストランやブラッスリーが軒を連ねる。14区内をダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)界隈までを走る通り。
  • ルネ=コティ大通り(Avenue René-Coty
  • レイモン=ロスラン通り(Rue Raymond-Losserand
  • レイユ大通り(Avenue Reille

広場・交差点

画像をクリックして拡大

パリの「広場(プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。14区の広場や交差点には、次のようなものがある。

  • カタローニュ広場(Place de Catalogne
  • コリュシュ広場(Place Coluche
    • 13区と14区の境界に位置している。
  • サン=ジャック広場(Place Saint-Jacques
  • 1940年6月18日広場(プラス・デュ・ディジュイ=ジュアン=ミル・ヌフサン・キャラント、Place du 18-Juin-1940
    • 6区、14区、15区の境界に位置する、モンパルナス駅前広場。
  • ダンフェール=ロシュロー広場(Place Denfert-Rochereau
  • ヴィクトル=エ=エレーヌ=バッシュ広場(ヴィクトーレ=エレーヌ=バシュ広場, Place Victor-et-Hélène-Basch
    • 区内南側中央に位置する。

著名な出身者

政治

財界

学者

芸能

著名な居住者

1916年、ブラッスリー「ラ・ロトンド」前(行政上はモンパルナス大通り6区側)の、モディリアーニピカソ、アンドレ・サルモン。ジャン・コクトー撮影
Nabis Landscape 1890年 ポール・ランソン作。ランソンはポスト印象派, ナビ派の画家。モンパルナス大通り25番地(厳密には通り6区側)に居住

政治

学者

  • ロベール・フォーティエフランス語版(歴史学者) - ラスパイユ大通り (Boulevard Raspail) 270番地に居住。高等研究実習院出身
  • 河上肇 (経済学者)
    • 1914年、パリでの下宿先を探していた河上肇は、同時期のパリに下宿していた島崎藤村の世話で、グランド・オテル・ド・ポール=ロワイヤル (ポール=ロワイヤル大通り, Boulevard de Port-Royal 117番地) に滞在した。道路を挟んだ反対側には藤村の滞在先、同大通り86番地(5区)があり、河上肇の部屋からはその部屋の明かりが確認できたという[14][15]

文化

モンパルナス大通り (Boulevard du Montparnasse) 居住者
カンパーニュ・プルミエール通り (Rue Campagne-Première) 居住者
ラスパイユ大通り (Boulevard Raspail) 居住者
その他、著名な日本の文化人など
  • 佐伯祐三 (画家)
    • 1927年10月から翌年4月末にかけて、モンパルナス大通り(Boulevard Montparnasse)162番地のアトリエに住んだ。パリの街角に立ち、精力的に創作活動を続けていたが、1928年3月、雨中での製作で体調を崩した。4月末、同じ区内のヴァンヴ通り(Rue de Vanves、現在のレイモン=ロスラン通り(Rue Raymond-Losserand))5番地に引っ越したが結核が悪化。精神状態も悪くなって入院し、8月16日、30歳の若さで死去した[18][19]
  • 高村光太郎 (彫刻家、評論家、詩人)
    • 1908年6月11日、パリに到着。畑正吉の下宿に身を寄せたのち、カンパーニュ=プルミエール通り(Rue Campagne-Première)17番地のアトリエに住んだ。アトリエでは、主に泥による胸像の製作に取り組んでいる。翌年帰国[20]
  • 林芙美子 (小説家)
    • 林芙美子の滞在場所は3ヶ所あるが、いずれもダンフェール=ロシュロー広場の近くである。1931年11月23日から翌年1月23日まではブーラール通り(Rue Boulard)10番地のオテル・デュ・リオン・ベルフォール (Hôtel du Lion Belfort)に宿泊し、ロンドンでの滞在を経た後、2月22日から4月5日まではダンフェール=ロシュロー広場28番地のオテル・フロリドル(Hôtel Floridor)の5階に宿を取り、翌日から5月12日まではダゲール通り(Rue Daguerre)22番地のアパルトマン(現在のオテル・ル・リオンソー(Hôtel le Lionceau))の2階で生活し、5月12日の夜、日本へ発った[21]
  • 藤田嗣治 (画家、彫刻家)
    • 1917年まで、カンパーニュ=プルミエール通り9番地に居住し、同23番地にアトリエがあり、1917年から1924年まで、藤田嗣治が画家としての名声を確立した時期に住んでいたのが、ドランブル通り(Rue Delambre)5番地のアパートである。2度目の妻であるフェルナンド・バレーと共に過ごした場所でもあった[22]。フランスで最も知られる日本人の一人。
  • 横光利一 (小説家、俳人)

ゆかりの人物

芸能

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ フランス語の 「14e 」 = 「quatorzième 」 は、英語の「fourteenth 」 に相当する序数。「第14の」 「14番目の」を意味する。したがって、原語の「14e arrondissement 」を直訳すると「第14区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ 和田博文真銅正宏・竹松良明・宮内淳子・和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、p.282.
  4. ^ 和田博文真銅正宏・竹松良明・宮内淳子・和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、p.283.
  5. ^ セーヌ川左岸の地域にあたる。
  6. ^ 和田博文真銅正宏・竹松良明・宮内淳子・和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』、藤原書店、2004年、pp.294-295.
  7. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.282.
  8. ^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、JTBパブリッシング、2006年、p.185.
  9. ^ 1911年アポリネールは、モナ・リザ盗難事件の容疑者として収監された(のちに無罪が証明され、釈放)。また、1923年大杉栄は、メーデーで演説して逮捕され、この刑務所に収監された(のちに追放処分)。和田博文真銅正宏・竹松良明・宮内淳子・和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』(藤原書店、2004年) p.321.
  10. ^ 福井憲彦・稲葉宏爾 『世界歴史の旅 パリ 建築と都市』 山川出版社、2003年、p.170.
  11. ^ モンパルナス駅前の他、パリ2区9区境界にあるオペラ広場、シャンゼリゼ(フランクラン=ローズヴェルト)大通りシャトレ駅界隈サン=ドニ通り等にあるチェーンのステーキレストランないしブラッスリー
  12. ^ 「図解 牢獄・脱獄」(牢獄研究会、新紀元社)、「なしくずしの死」(上下, ルイ=フェルディナン・セリーヌ作, 高坂和彦訳, 国書刊行会「セリーヌの作品2, 3」, 1978年 ; 上下, 河出文庫, 2002年)
  13. ^ P43 「パリ右眼左眼」(稲葉宏爾、ペンブックス)
  14. ^ 和田博文真銅正宏・竹松良明・宮内淳子・和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』 藤原書店、2004年、pp.293, 305.
  15. ^ 稲葉宏爾 『改訂版 ガイドブックにないパリ案内』2012年、p.129
  16. ^ "La mémoire des lieux. Bd Brune". www.parisrevolutionnaire.com parisrevolutionnaire.com. 14 August 2011. 2016年6月12日閲覧
    "Parce que c'était lui. Les amitiés littéraires". books.google.fr. 2016年6月12日閲覧.
  17. ^ Collectif, Étrangers célèbres et anonymes du 14e arrondissement, Mairie du 14e, octobre 2011, p.8.
  18. ^ 朝日晃・野辺山暁治 『とんぼの本 佐伯祐三のパリ』 新潮社 1998年、p.93.
  19. ^ 和田博文真銅正宏・竹松良明・宮内淳子・和田桂子 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』 藤原書店 2004年、pp.302-303.
  20. ^ 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』 2004年、pp.306-307.
  21. ^ 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』 2004年、pp.310-311.
  22. ^ 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』 2004年、pp.312-313.
  23. ^ 『パリ・日本人の心象地図 1867-1945』2004年、p.318.

参考文献

  • MICHELIN編、『Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud – 』、ISBN 978-2-06-710591-1、MICHELIN、2007年 (仏語。パリ市内の詳細地図。)

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「14区 (パリ)」の関連用語

14区 (パリ)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



14区 (パリ)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの14区 (パリ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS