首相在任期とは? わかりやすく解説

首相在任期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 10:06 UTC 版)

フェリペ・ゴンサレス」の記事における「首相在任期」の解説

1982年10月28日行なわれ総選挙で、社会労働党は48.3%の票を集め350議席202議席獲得した同年12月2日ゴンサレス首相に就任し、副首相にはアルフォンソ・ゲーラをあてた。ゴンサレス首相就任に対してスペイン国民は変革への大きな期待寄せていた。ゴンサレス政権下において教育広められ16歳まで教育費無料とした。また大学教育整備されたほか、社会保障制度導入され、またカトリック教会からの反発受けたものの、人工妊娠中絶一部合法化実現したゴンサレス自由主義改革推進し経済の建て直し図った1983年2月23日政府破綻危機瀕していた民間銀行傘下に持つルマサを、預金者と60,000人の従業員雇用を守るために国有化する法律提出可決された。この方に対して激し批判司法での対立起こったが、最高裁判所1986年12月政府支持する判決下している。 1982年総選挙社会労働党鉄鋼業再構築進めて80万人雇用創出する公約していたが、実際に一時解雇進められることになった。また1984年港湾業不振問題取り組んでも、港湾労働者によるストライキを招く結果となった1985年6月20日UGT社会保障改革反発してゼネラル・ストライキ実施呼びかけた。同年ゴンサレス政権200ほどある国有企業とその国有企業依存する多く企業部分的、あるいは完全に民営化ていった1986年6月22日総選挙社会労働党は44.1%を得票し、184議席獲得した。これを受けてゴンサレス2期目となる首相に任命された。この年スペイン欧州諸共同体加盟している。またゴンサレス従来自身と党の立場転換して国民投票北大西洋条約機構残留進めた1988年12月14日スペインゼネラル・ストライキによって完全に機能麻痺し、このとき労働者団体社会労働党左派ゴンサレス右派に傾いたと非難している。 1989年10月29日総選挙社会労働党は39.6%を得票し、175議席獲得したゴンサレス3期目となる首相に就任する。1991年湾岸戦争ゴンサレスアメリカ合衆国支持する1991年から社会労働党都市部での選挙国民党負けていくようになる他方バルセロナオリンピックセビリア万国博覧会などを実行していったことで、スペイン近代的豊かな国というイメージ国際的に定着するようになった1993年6月6日総選挙社会労働党は38.8%を得票し、159議席獲得したゴンサレス新政権発足させるためにカタルーニャバスクなどの民族主義政党協定を結ぶことを余儀なくされ、ゴンサレス4度目勝利損なわれることとなった1995年末にかけて、次期総選挙ゴンサレス率いるべきかどうかという議論起こった国民党不景気指摘し、また汚職GAL によるバスク祖国と自由との戦闘など、テロへの政府の関与挙げながら、ゴンサレス政権終止符を打つという呼びかけ強めていった。メディア当時外相務めていたハビエル・ソラナゴンサレス後任になるのではないか伝えていたが、ソラナ1995年12月北大西洋条約機構事務総長就任した党内には後任適した人材がいなかったため、社会労働党1996年3月3日総選挙ゴンサレスのもとで行なうこととなるが、得票率は37.4%、獲得議席数も141とどまった社会労働党ホセ・マリア・アスナール率い国民党破れ1996年5月4日ゴンサレス首相の座をアスナール明け渡したゴンサレス長きに渡る首相在任に対してさまざまな評価がある。ゴンサレス在任期にスペイン近代化進められた。その一方で政権末期新聞紙上を占めた不祥事はいまでもなおゴンサレス在任期間全体評価貶めている。ミゲル・ボジェール、カルロス・ソルチャガ、ペドロ・ソルベスといった経済財政相はテレフォニカエンデサといった公営企業民営化経済自由化規制緩和鉄鋼鉱工業などの産業部門再構築といった力強い経済改革進めていったが、その陰で失業者増やし労働者階級労働者団体怒りを買うことになった。また労働市場ベビーブーム世代女性大量に流入したことにより、失業率はさらに悪化した他方ゴンサレス政権長期間にわたる低金利財源不足の低減ヨーロッパ平均比べても力強い経済成長達成してきた。政権末期政策スペインユーロ誕生時ユーロ圏入りしたことにも寄与している。このほかにも高速道路ネットワーク拡張空港設置高速鉄道などの社会基盤整備スペイン経済大きな影響もたらしたゴンサレス政権全国規模での包括的な社会基盤計画実行したのである。またゴンサレス任期中には無料国民医療施策といった社会利益拡充され年金制度改革により貧困層にも年金給付されるようになり、また16歳以下の子どもを対象とした公教育制度充実し多く大学新設されていったゴンサレス1986年欧州諸共同体加盟民主化強化大きな役割果たした。またフランソワ・ミッテランヘルムート・コールとともにヨーロッパの顔としても活躍したテロリストとの対決では警察による強力な作戦テロリスト脱落させることでテロ組織バスク祖国と自由」(ETA) を弱体化させるなどの成果挙げた。また1992年には ETA武器庫キュポラ制圧にも成功している。 しかし政権末期には副首相アルフォンソ・ゲーラの兄フアン・ゲーラの不正事件汚職事件が相次ぎ、とくに治安警察隊長官のルイス・ロルダン起こした不祥事社会労働党対す国民の支持をさらに落ち込ませることとなった職級が低い公務員一部による事件きわめて間違った選択をしていたにもかかわらずゴンサレスとほとんどの閣僚は自らの名誉を傷つけることなく退任することができた。

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