鎮守将軍鎮守府将軍の一覧とは? わかりやすく解説

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鎮守将軍・鎮守府将軍の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 05:07 UTC 版)

鎮守府将軍」の記事における「鎮守将軍・鎮守府将軍の一覧」の解説

鎮守将軍鎮守府将軍)を務めた人物の一覧。史料上に分明である人物任官順に配列することを原則としたが、『吾妻鏡』によると、坂上田村麻呂から藤原範季までの鎮守府将軍宣下70度に及ぶというから、なお脱漏不備があろうと思われる。本一覧では、系図類のみに見え人物について推定によって一部これを補い(※印)、その他史料性の問題含めて疑問のある人物については、末尾参考として掲げておいた。典拠は特に断りのない限り六国史当該条による。補任不明場合初見兼官位階典拠備考大野東人 - 天平元年9月729年10月)見 - 按察使兼任従四位大伴古麻呂 天平勝宝9歳6月16日757年7月6日)任 左大弁兼任正四位下 同年7月4日7月24日)罪死 藤原恵美朝猟 - 天平宝字4年1月760年1月)見 - 陸奥按察使兼任正五位下 田中多太麻呂 天平宝字8年9月29日764年10月28日)任 陸奥守兼任従四位下 石川名足 神護景雲2年9月4日768年10月18日)任 大和兼任正五位上 坂上苅田麻呂 神護景雲4年9月16日770年10月9日)任 正四位下 佐伯美濃 宝亀2年3月1日771年4月20日)任 陸奥守兼任従四位大伴駿河麻呂 宝亀4年7月21日773年8月13日)任 陸奥按察使陸奥守兼任正四位下 宝亀7年7月7日776年7月26日)卒 紀広純 - 宝亀8年12月778年1月)見 - 正五位下勲五等従四位勲四等 大伴家持 天応2年6月17日782年7月31日)任 陸奥按察使春宮大夫兼任従三位 百済王俊哲 - 延暦6年5月5日787年6月24日)解 正五位上 日向権介左遷 多治比宇美 延暦7年2月28日788年4月8日)任 陸奥按察使陸奥守兼任正五位下 百済王俊哲 延暦10年9月22日791年10月23日)任 下野守兼任正五位上 坂上田村麻呂 延暦15年10月27日796年11月30日)任 近衛少将兼任従四位百済王教俊 - 大同3年6月808年7月)見 - 陸奥介兼任従五位下 佐伯耳麻呂 大同4年1月16日809年2月4日)任 従五位下 物部匝瑳足継 弘仁3年2月10日812年3月26日)任 外従五位上 坂上浄野 弘仁10年1月819年2月)任 従五位下文徳実録』(卒伝) 物部匝瑳熊猪 承和元年5月19日834年6月29日)任 元主殿允、外従五位下 匝瑳末守 - 承和4年4月837年5月)見 - 外従五位下御春浜主 承和7年1月30日840年3月7日)任 従五位下 坂上当宗 承和13年2月11日846年3月11日)任 陸奥介兼任従五位下 伴三宗 嘉祥4年1月11日851年2月15日)任 従五位下 仁寿4年8月16日854年9月11日)卒 文室道世 仁寿4年8月17日854年9月12日)任 元右近衛将監従五位下 小野春枝 斉衡3年2月8日856年3月17日)任 従五位下 坂上当道 天安3年1月16日859年2月22日)任 陸奥守兼任従五位下 名は高道とも 小野春枝 貞観2年2月14日860年3月10日)任 従五位下 文室甘楽麻呂 貞観7年1月27日865年2月26日)任 元陸奥介従五位下 御春岑能 貞観10年1月16日868年2月13日)任 従五位下 安倍比高 貞観末年( - 876年)任 従五位下 小野春風前任者 小野春風 元慶2年6月8日878年7月11日)任 従五位下 一説同年5月4日6月8日)任とする 安倍三寅 元慶8年3月9日884年4月8日)任 元左馬助従五位上 御春種実 仁和2年1月16日886年2月23日)任 従五位下 藤原時長『尊卑分脈』 藤原茂永 - 延10年5月910年6月)見 - 『西宮記』巻8 藤原利仁 延喜15年915年)?任 従四位下? 『尊卑分脈』。 名は利平とも 平国香『尊卑分脈』 平良将 延長年間923年 - 930年)?任 従五位下扶桑略記』。 名は良持とも 藤原有象※ 『尊卑分脈』。 号・中将平良文天慶2年939年)?任 従五位上? 『千葉大系図藤原秀郷 天慶3年4月25日940年6月3日)?任 従四位下? 『結城系図』。 伴有時? 陸奥守兼任貫之集平貞盛 - 天慶10年2月947年3月)見 - 『日本紀略』。 号・平将軍 源仲舒 天徳3年9月959年10月)頃任 四位清慎公集源信孝 - 康保2年4月965年5月)見 - 従五位下朝野群載』巻22。 号・小松将軍 藤原文信『尊卑分脈』 藤原千常 安和3年1月15日970年2月23日)?任 『結城系図』。 名は知常とも 藤原季文 天延2年1月29日974年2月23日)任 元右馬助公卿補任寛和3年藤原千方 天元2年1月29日979年2月28日)?任 『結城系図』。 名は知方とも 藤原文脩 永延2年10月3日988年11月14日)任 従五位下小右記』。 名は文條・文修とも 源満政『尊卑分脈』 藤原兼光 長徳4年1月15日998年2月14日)?任 『小山系図平維茂『尊卑分脈』。 号・余五将軍 平維良 - 長和3年2月1014年3月)見 - 『小右記』。 一説に維茂と同一人とする 平維良 長和4年1015年重任御堂関白記平永盛 寛仁2年1月23日1018年2月11日)?任 従五位下安西氏系図』。 号・平群将軍 藤原頼行 治安2年1月29日1022年3月4日)?任 『結城系図源頼信 治安3年8月1023年8月)?任 『系図纂要源頼義 天喜元年1053年)任 陸奥守兼任本朝続文粋』巻6 清原武則 康平6年2月27日1063年3月29日)任 従五位上扶桑略記』。 号・清将軍 清原貞衡 延久年間1069年 - 1073年)?任 従五位下御堂摂政別記裏文書』。 名は真衡とも 源義家 永保3年1083年)任 陸奥守兼任 『尊卑分脈』 藤原実宗 康和元年12月14日1100年1月26日)任 陸奥守兼任か 『本朝世紀藤原基頼 長治元年5月2日1104年5月27日)任 陸奥守兼任中右記以綱 永久元年7月29日1113年9月10日)任 陸奥守兼任従四位上殿暦藤原師綱 保延年間1135年 - 1140年)?任 陸奥守兼任 『尊卑分脈』 藤原基成 康治2年6月29日1143年8月11日)任 陸奥守兼任従五位上本朝世紀藤原雅隆 保元2年9月19日1157年10月23日)任 陸奥守兼任従五位上兵範記藤原長光 - 長寛元年4月1163年5月)見 - 陸奥守文章博士兼任従四位上長寛勘文』。 名は永光とも 藤原秀衡 嘉応2年5月25日1170年7月10日)任 『兵範記藤原範季 安元2年3月30日1176年5月10日)任 陸奥守兼任正五位下玉葉足利尊氏 元弘3年6月5日1333年7月17日)任 元左兵衛督従四位下 『公卿補任北畠顕家 建武2年11月12日1335年12月26日)任 右中将陸奥権守兼任従二位公卿補任』。 のち鎮守府大将軍 北畠顕信 延元3年7月1338年9月)任 左中将陸奥介兼任従三位 『神皇正統記』南朝による補任 足利直冬観応元年10月25日1350年11月25日)任 左兵衛督兼任参考太平記』。 直義とするのは誤り新田義重慶長16年3月22日1611年5月4日追贈従五位下) 『孝亮宿禰記』。徳川家による祖先顕彰参考在任期間不明または在任疑問のある人物 平良兼系図纂要平良繇 『尊卑分脈』。 名は良孫とも 藤原有頼系図纂要源経基 『尊卑分脈』 平繁盛常陸大掾系図』 源撰 『尊卑分脈』 源増 『尊卑分脈』 藤原千晴 『尊卑分脈』。 名は千時とも 源満仲 『尊卑分脈』 源頼光系図纂要平忠通系図纂要

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