藤原有頼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤原有頼の意味・解説 

藤原有頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 08:48 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
藤原有頼
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下但馬守
主君 宇多天皇
氏族 藤原北家魚名流(山蔭流)
父母 父:藤原山蔭、母:筑前介有光の娘
兄弟 有頼、公利、如無、遂長、言行、兼三中正、元善子、藤原定方室、
雅望王正妃、藤原家宗
高向公輔の娘
正方、直長、種時
養子:在衡
テンプレートを表示

藤原 有頼(ふじわら の ありより)は、平安時代前期の貴族漢詩人藤原北家魚名流(山蔭流)、中納言藤原山蔭の長男。官位従五位下但馬守

経歴

寛平元年(889年)9月に行われた残菊の宴において漢詩を奉じた。右馬助を経て、叙爵の後、寛平5年(893年)4月に敦仁親王(後の醍醐天皇)が皇太子に立てられると、その春宮坊の主馬署官人となり[1]蔵人に補任された[1]。その後、但馬介[2]または但馬守[3]を務めた。

系譜

  • 父:藤原山蔭
  • 母:筑前介有光の娘(姓不明)
  • 妻:高向公輔の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原正方
    • 男子:藤原直長
    • 男子:藤原種時
  • 養子女
    • 養子:藤原在衡(892-970) - 実は如無の子。

脚注

  1. ^ a b 大日本史料』第一篇補遺。
  2. ^ 公卿補任』『蔵人補任』など。
  3. ^ 尊卑分脈』など。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原有頼」の関連用語

藤原有頼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原有頼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原有頼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS