野党再編へ
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分党問題に決着をつけた維新の党は、民主党との連携に関心を移す。12月18日、衆議院統一会派「民主・維新・無所属クラブ」が結成される。会派には無所属の衆議院議員野間健も参加し、93名となった。一方で、参議院の統一会派については、翌年夏の参院選で維新の党の議員が埋没しかねないとの懸念から延期されたが、翌2016年1月6日、参議院で日本を元気にする会との統一会派「維新・元気の会」を結成する。衆参で異なる党と統一会派を結成することは通常なく、民主党側が反発した。後述の民主党との合併が確定した後の3月4日、日本を元気にする会との参議院統一会派は解消された。 2月22日、松野と民主党の岡田克也代表が会談し、民主党が維新の党を吸収合併することで合意した。なお、合併方法が吸収合併(民主党は存続)となったため、維新の党の議員のうち、みんなの党で当選してから結いの党経由で合流した参院議員5人は合流できないことになった。 新党の党名に関しては民主側は党名の継続を、維新側は党名変更を主張したため、両党のホームページとファックスを用いて一般公募を行い、民主側は「立憲民主党」、維新側は「民進党」を提示した。この両者の間で更に意見を募った結果、3月14日、新しい党名が『民進党』に決定する。以降両党内部で手続きが進められ、3月25日、松野・岡田の両代表間で合併協議書が調印された。更に、かつて分裂騒動の際に袂を分けた改革結集の会も民進党へ参加、再び行動を共にすることとなった(議員5人の内、小沢鋭仁はおおさか維新の会へ合流)。なお、このとき民主側が提示した「立憲民主党」は、第48回衆議院議員総選挙の際に、枝野幸男代表の下、希望の党への公認申請を拒否した民進党議員(前職では民主側から11名、維新側から5名)によって結党された新党の名称となった。 3月27日、『民進党』結党大会に先駆けて午前中に行われた維新の党の臨時党大会において、新党「民進党」結成のための解党を決議、全会一致で採択された。なお「維新」の略称は、おおさか維新の会の略称として引き続き使用される。 政党交付金については必要経費を差し引いた残余金の約2億円を国庫に返納した。ただし、解散前に松井一郎の元秘書を代表におおさか維新の会と同じ住所を本拠地として設立された「なんば維新」という政治団体に、おおさか維新系の議員が管理する支部から約8700万円の寄付が行われ、なんば維新はおおさか維新設立後にその政治資金を寄付して解散しており、国庫への返納逃れのための政治資金還流が行われたのではないかとの指摘がある。マスコミの取材に対して、なんば維新およびおおさか維新側は「お金を一時的にプールするためになんば維新を使った」「おおさか維新に政党交付金が出る16年4月までの活動資金として必要だった」などと釈明した。
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野党再編へ
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「国民民主党 (日本 2018)」の記事における「野党再編へ」の解説
7月15日、半年ぶりとなる国民、立憲両党の合流協議が行われ、両党の幹事長が国会内で会談した。この中で立憲民主党側は従来主張していた「吸収合併」方式から転換し、両党を解党した上で新党を設立し、結党大会で党代表選を実施するなどの提案を行い、国民側に譲歩した内容となった。一方、新党の名称は「立憲民主党(略称・民主党)」とする意向を示した。 これに対し国民民主党側は新党名に「民主党」を推す意見が多数を占め、22日の幹事長会談では新党構想におおむね賛同するとしつつ党名については投票などを念頭に「民主的な手続き」での決定を要請する逆提案を行った。また、玉木は「新党を作る以上、(政策の)一致点があるべきだ」と述べ消費税率の時限的な減税や憲法改正に関する方針の一致についても立憲側に賛同を求める意向を示したが、平野は「共通認識の形成を」と口頭で求めるにとどめた。党名の扱いを巡っては、立憲民主党内のリベラル系グループである赤松グループが枝野らに対し党名堅持を強く求めていることもあり、協議が膠着していたが、8月6日、小沢一郎が枝野と会談し党名について投票での決着を要請。立憲民主党側は翌8月7日の幹事長会談で同方針を受け入れる考えを示した。 8月11日、合流の賛否を巡り臨時執行役員会が開かれ、党内の意見がまとまらないとして、合流賛成派と反対派で党を分割する「分党」を行う方針を決めた。また、玉木は役員会後の臨時記者会見で同方針を発表したほか、消費税減税など政策の不一致を理由に自身は合流新党に参加しない意向を示した。同月19日に両院議員総会が開かれ、立憲民主党と合流し新党を結成する案が賛成57、反対2の多数決で了承された。玉木が主張する「分党」については合流推進派の反対で総会の正式議題にはならず、合流に参加しない議員の扱いは玉木と平野に一任する方針を決定した。 8月24日、国民民主党、立憲民主党と、統一会派内の無所属議員グループ「社会保障を立て直す国民会議」「無所属フォーラム」の各幹事長が国会内で会談し、合流新党結成に向けた基本合意書に署名した。一方、9月1日にはUAゼンセンや、電力総連など国民民主党を支持する6つの産別が、合流新党の綱領案に「原発ゼロ」の文言が入ったことや、「改革中道」の表現が盛り込まれなかったことを理由に組織内議員の合流を見送ると決定し、これを受け9人の組織内国会議員が合流新党への不参加を決めた。 9月3日に合流新党への参加届出が締め切られ、翌4日に国民・立憲両党が合流新党への参加者を発表。国民民主党は所属議員62名中40人が参加し、玉木ら22名が不参加となった。合流新党は9月10日に代表・党名選挙を実施し、9月15日に結党大会を開くこととなり、一方で玉木ら合流不参加議員を中心とする新党も9月15日に結党し、代表選を実施することとなった。 9月8日に国民民主党の総務会が行われ、玉木が要求していた合流不参加者の分党を了承。国民民主党は11日に分党に伴う解党を総務省に届け出、15日の合流新党結成までの間の暫定的な新党「民主党」と玉木ら合流不参加者による「国民民主党」に分かれることとなり、総務会では玉木側が引き続き「国民民主党」の名称を使用することも了承した。新「国民民主党」には13人が参加するほか、「民主党」には合流新党参加者40人のほか、いずれの新党にも参加しない9人も暫定的に在籍する見込み。残存資金は議員数に応じて比例配分することとなり、翌9日の両院議員総会で上記方針が正式決定。「民主党」の代表には平野博文が就任した。11日の党大会で解党が正式に決定し、国民民主党としての2年4ヶ月の歴史だけではなく、1996年の(旧)民主党結党以来、法律上24年弱続いてきた政党の歴史にも幕を下ろすこととなった。政党、会派の異動先は以下の表の通り(※は参議院議員)。 (新)立憲民主党(衆31・参9)青山大人 泉健太 稲富修二 大島敦 大西健介 岡本充功 奥野総一郎 小熊慎司 小沢一郎 城井崇 源馬謙太郎 後藤祐一 小宮山泰子 近藤和也 斉木武志 篠原孝 下条みつ 白石洋一 関健一郎 津村啓介 原口一博 日吉雄太 平野博文 牧義夫 馬淵澄夫 緑川貴士 森田俊和 谷田川元 山岡達丸 屋良朝博 渡辺周 青木愛※ 木戸口英司※ 古賀之士※ 田名部匡代※ 徳永エリ※ 羽田雄一郎※ 森裕子※ 森本真治※ 横沢高徳※ (新)国民民主党(衆7・参7)浅野哲 岸本周平 玉木雄一郎 西岡秀子 古川元久 前原誠司 山尾志桜里 足立信也※ 伊藤孝恵※ 大塚耕平※ 小林正夫※ 榛葉賀津也※ 浜野喜史※ 矢田稚子※ 無所属(衆2・参6)吉良州司 古本伸一郎 礒崎哲史※ 川合孝典※ 田村麻美※ 濱口誠※ 増子輝彦※ 柳田稔※
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