野党幹部、国家情報院院長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 15:37 UTC 版)
「李鍾賛 (1936年生)」の記事における「野党幹部、国家情報院院長」の解説
その後、李鍾賛は1995年3月に民主党へ入党後、同年9月に政界復帰を果たした金大中が結成した新党である新政治国民会議(国民会議)の副総裁に任命された。そして翌1996年4月の15代国会議員選挙では国民会議の公薦で鍾路区から出馬したが、後に大統領となる李明博(新韓国党)に敗れ、落選した。しかし、1998年2月に発足した金大中政権では国家安全企画部(安企部)の部長に任命され、翌1999年1月に安企部から改編された国家情報院の初代院長となった(1999年3月まで)。 2000年4月の16代国会議員選挙では、国民会議から改編された新千年民主党(民主党)の公薦を得て再び鍾路区で出馬したが、敗北した。
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