過去に飛地だった地域
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アメリカ合衆国ホーコン・トラクト - 1906年にアメリカの企業が独断でリオ・グランデ川の水路を付け替えたため、川を挟んだメキシコの中の飛び地となった。その事を両国は長らく忘れ去っており、事実上のメキシコ領として扱われていたが、1967年にアメリカ領であることが再発見され、1977年に正式にメキシコへ割譲されて解消した。 アラブ連合共和国シリア - エジプトとシリアが連邦国家を形成したことにより飛地化。シリアの連合脱退により解消。 イスラエルスコーパス山 - 1948年から1949年まで発生したイスラエル独立戦争(第一次中東戦争)の休戦協定締結の際に、ヘブライ大学などがあったスコーパス山はユダヤ人(イスラエル)のものとなったが、周囲はヨルダン領(ヨルダン川西岸地区)となったため飛び地となった。1967年の第三次中東戦争の時にイスラエル軍はヨルダン川西岸地区を占領下に置いたため事実上解消。 インド/ バングラデシュインド・バングラデシュ国境の飛地群 - インド・バングラデシュ双方の飛地が複雑かつ大量に交錯する地帯で、両国合わせて224か所の飛び地が存在した。その内24か所が二重飛び地であり、中でもインド領であったダハラ・カグラバリ は、「バングラデシュ領内にあるインド領の中のバングラデシュ領の、さらに中にあるインド領」となっていて世界唯一の三重飛地であった。2011年9月から始まったインド、バングラデシュ両政府の協議により2015年5月6日に国境画定協定の合意がなされ、すべての飛び地は解消した。 オマーングワダル - 現在のパキスタンのバルチスタンにあったカラート藩王国(英語版)のハーンが、1783年に宮廷での内紛により亡命してきたオマーンの王族Saiadをグワダル一帯を領地とするスルタンにしたが、1797年にSaiadがオマーンの国王に即位したため、結果的にグワダルはオマーンの飛地となった。1947年に英領インドからパキスタンが独立した後、1958年に当時オマーンを保護領としていたイギリスの圧力下でオマーンがパキスタンへ売却し解消(関連:植民地#オマーン)。 スイスジュネーヴ - もともと独立国家ジュネーヴ共和国で、16世紀初頭にスイス連邦に加盟するも、周囲はすべてフランス領であり、ながらく連邦の飛び地であった。フランス革命後、ナポレオンの台頭により強引にフランスに併合されるなどの紆余曲折もあったが、1814年のウィーン会議で再びスイス領と認められ、同時にフランスからスイス本土との回廊にあたる部分を割譲され解消。 韓国黄海南道の一部 - 北朝鮮との境界が38度線と定められたことにより、南方に突出した黄海道の甕津(オンジン)半島が飛地化。朝鮮戦争により軍事境界線の北側の北朝鮮領となり、解消。ただし、韓国、北朝鮮とも公式には朝鮮半島全土を自国領と、また互いに相手を反政府勢力と主張しているため、当事者両国の見解に従うとどちらの立場においても飛び地であったとはいえない。韓国では飛地のことを越境地(ウォルギョンジ)という。 ドイツ国 / プロイセン王国東プロイセン - ホーエンツォレルン家が治めるブランデンブルク選帝侯領とプロイセン公国(のちの東プロイセン)が、17世紀に段階的に統一国家プロイセン王国となり、飛地化。1772年、第一次ポーランド分割により間のポーランド領がプロイセン領西プロイセンとなり解消するが、第一次世界大戦によりかつての西プロイセンはポーランド回廊としてポーランド領となり、東プロイセンは再び飛地化。第二次世界大戦中はポーランド西部がドイツに併合され、再度解消。第二次世界大戦後、東プロイセンは隣接するポーランドとソビエト連邦に二分して割譲され、国家単位では飛地とはならなかったが、ソビエト連邦領は隣接するリトアニアではなくロシア共和国の一部とされたため、連邦内共和国単位で飛地となった。ソビエト連邦崩壊によってリトアニアが正式に独立した後は、ロシア連邦の飛地「カリーニングラード州」となり、再び国家単位の飛び地として復活した。 プロイセン王国ライン地方 - 1866年、普墺戦争により間のハノーファー王国を併合し、解消。 西ドイツ西ベルリン - 西ベルリンは法的には西ドイツの一部ではなかったが、実質的には東ドイツ国内にある西ドイツの飛地だった。東西ドイツの統合により解消。 パキスタン東パキスタン - 第三次印パ戦争により、東パキスタンがバングラデシュとして独立して飛地が解消。現在のパキスタンはそれまでの西パキスタン。 パナマ1903年以来、アメリカ合衆国がパナマ運河の両側幅5マイル(約8km)ずつを、運河地帯として永久租借していたため、運河を境に国土が東西に分断されていた。1979年の運河地帯返還により、分断状態が解消。 南アフリカ共和国ウォルビスベイ - 南アフリカは1990年のナミビア独立後も自国領土として実効支配を行い続けた。ナミビア政府の要求の結果、1994年にナミビアに返還し、解消。
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過去に飛地だった地域
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大阪府貝塚市清児新町@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}(地図)[要検証 – ノート]周囲は岸和田市尾生町、真上町、土生滝町、下松町。2007年1月1日、岸和田市尾生町に編入。
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分割占領時代のドイツのアメリカ軍占領地区:ブレーメン州周囲はイギリス軍占領地区。米英仏占領地区を領土とする西ドイツの成立により解消。
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