休戦協定締結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 15:15 UTC 版)
「マティアス・エルツベルガー」の記事における「休戦協定締結」の解説
敗色濃厚となった1918年10月にバーデン公マクシミリアンが宰相になると、エルツベルガーは無任所相に任命された。彼は閣僚より休戦委員会の委員就任を懇願され、それを承諾、委員長の座についた。その後パリ郊外コンピエーニュに赴き(11月8日早朝コンピエーニュの森に到着)、フェルディナン・フォッシュ元帥との休戦交渉に臨んだ。この間ドイツ革命が発生し、バーデン公マクシミリアンはフリードリヒ・エーベルトに宰相の座を明け渡して退任した。エルツベルガーは11月11日早朝5時に4名のドイツ代表の筆頭として署名、同日午前11時に発効した。こうして4年に及んだ第一次世界大戦は終わった。 翌年1月、ヴァイマル制憲会議が選出される。それにより成立したシャイデマン内閣に休戦委員会委員として無任所相となる。彼はヴェルサイユ条約調印に賛成してフォン・ブロックドルフ=ランツァウ外相と激しく対立した。彼は連合国の過酷な要求をできる限り実行して逆にその無謀を悟らせようとする策に立っていた。しかしこのため「ドイツは戦争で負けたのではない、内部の裏切り者のせいで敗者にされたのだ」と盲信する右翼・民族主義者の攻撃の対象となる(背後の一突き)。
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