1度目の戦争(101-102年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/13 07:06 UTC 版)
「ダキア戦争」の記事における「1度目の戦争(101-102年)」の解説
休戦協定締結以後もデケバルスはモエシアなどドナウ川流域のローマ属州への侵入を度々行うなど、ローマに反抗する姿勢を示していたことや度重なるローマ領内での軍事行動による出費で逼迫した財政再建に充てるべくダキアが産出する金や銀などの鉱物資源にローマが着目したことに加えて、領土拡張に慎重姿勢を示していた歴代ローマ皇帝と異なり、98年に即位したトラヤヌスはその面での積極さを持っていたことが重なって、トラヤヌスおよびローマはダキアへの本格的な軍事作戦を決意した。 101年に元老院からダキア討伐に関する支持と承認を得た後、トラヤヌスはダキアへ親征した。ローマ軍はドナウ川を渡り、102年にタパエの戦いでダキア軍に勝利を収めた。デケバルスはその後も抵抗をしたもののローマ軍へ降伏した。
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