1度目の死亡事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:27 UTC 版)
事故のあった日の1956年6月14日、『朝日新聞』夕刊3面が報じたところによると、同日午前7時半頃、井の頭自然文化園で園内の見回りをしていた飼育主任が、はな子のいるゾウ舎と観覧場所を隔てる深さ約2メートルの空堀に、死亡している男性を発見した。見回りの際にゾウ舎の入口の鍵がはずれて開いているのを見つけ、不審に思った飼育主任がゾウ舎に入ってみたところ、内部にはシャツや手提げかばんなどが散らばっており、死亡していた男性が身に付けている衣服も、激しく引き裂かれた状態になっていた。 捜査にあたった警視庁武蔵野警察署が行った検視の結果によれば、男性の胸部にはゾウの足によって踏まれた跡がくっきり残っており、肋骨は原型を留めぬほど折れていたという。同署は、ゾウ舎に侵入した男性がはな子に踏み殺されたものと断定した。 同署の発表で、死亡した男性の身元は同園の近くに住む44歳の機械工具外交員とされ、男性の妻の話によると男性には妻との間に5人の子供がおり、ほぼ毎週日曜日には同園に足を運ぶほどの動物好きであったという。ところが同署の調べで、男性は夜中に幾度となく同園の飼育小屋に忍び込んでは、いたずらをして取り押さえられた前歴があることが判明しており、男性が性懲りもなくゾウ舎への侵入を企てた結果、このような事故が起きたのも開園時間外であることから、同署は同園側に落ち度はないという見方を示した。 男性は事故前日の夕方、都内港区にある勤務先を出た後は帰宅しておらず、事故当日の午前5時頃、無断で立ち入った園内をうろついている男性の姿が、敷地内の職員住宅に住む職員の家族によって目撃されていた。 朝日新聞の取材に対し、はな子のことをよく知る上野動物園の飼育課長は、「今まで人に害を加えたことはなく、いろいろな芸を覚えてみんなから親しまれていた。こんどの事故は被害者が何かの拍子で怒らせたのではないだろうか。」と話した。また、井の頭自然文化園の園長によると当時のはな子の飼育状況は、閉園の午後5時より先に午後4時半ごろには15坪のゾウ舎に入り、開園の午前9時ごろに30坪の運動場へ出るのが日課となっており、移動させる時を除いては常に直径6分(約18ミリメートル)の鎖につながれていた。このことより同園長は、「よほど象に近寄ったのではないだろうか」と指摘し、男性について、「これまでも2、3回開園前に入ったことがあり、警察で調べられたこともある」と話した。
※この「1度目の死亡事故」の解説は、「はな子」の解説の一部です。
「1度目の死亡事故」を含む「はな子」の記事については、「はな子」の概要を参照ください。
- 1度目の死亡事故のページへのリンク