1度目の挙兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 00:58 UTC 版)
姫発(後の武王)の父の姫昌は、諸侯に幾度となく放伐を薦められたが、主君である帝辛を討つのは道に反するということで、これを退けた。 姫昌亡き後を継いだ姫発は、太公望と呼ばれた呂尚の助けも借りつつ、父同様に善政を敷き、諸侯は殷の帝辛の下を離れ、周の姫発の下に集った。そして諸侯に促され、姫発は帝辛を討つことを決意した。 姫発は徳があることで知られていた父の位牌を掲げて挙兵した。父の位牌とともに盟津まで進軍した。この時、幾つもの瑞兆が現れ、800にもおよぶ諸侯が参加した。しかしこの時、姫発は天の声を聞き時期尚早と考え、撤兵した。
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