1度目の執政官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 10:20 UTC 版)
「マルクス・リウィウス・サリナトル」の記事における「1度目の執政官」の解説
紀元前219年、パロスのデメトリウス(英語版)がイリュリア侵攻の動きを見せたため、両執政官は出征し、おとり部隊を使って油断を誘いイリュリア軍を倒した。パロスに逃れたデメトリウスを追撃しこれを落としたものの、デメトリウスは更にマケドニアへと逃れていた。だがピリッポス5世とうまくいかず、イリュリアに戻ったところを捕まり処刑された(第二次イリュリア戦争)。両執政官は凱旋式を挙行したという。 翌紀元前218年、カトゥルスの時代カルタゴと交わした条約にハンニバルが違反したため、カルタゴに使節団が派遣されたが、この中の一人にリウィウスが選ばれている。交渉は物別れに終わり、宣戦が布告された。 リウィウスは一度目の執政官時代の後、弾劾されており、それを屈辱と感じた彼は田舎に引きこもっていたが、パトリキ側の有力候補ガイウス・ネロが血気盛んであったため、そのブレーキ役としてリウィウスが思い出された。引きこもって8年、みすぼらしい格好をした彼は屈辱を忘れておらず、ケンソルのルキウス・ピロとプブリウス・クラッススの二人は彼に身なりを整えさせ元老院へといざなった。終始無言のリウィウスだったが、親族が弾劾されたため弁護に立ち、その演説を聴いた議員たちは、無実の男に罪を着せてしまった過ちに気がついたという。一度罪を着せておきながら再度登用する元老院の矛盾を責めるものはいたが、大多数の支持によってリウィウスは政界復帰した。
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