1度目の包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 09:04 UTC 版)
「プシェムィシル包囲戦」の記事における「1度目の包囲」の解説
9月24日、ドミトリエフ将軍率いるロシア第3軍は要塞の包囲を開始した。ドミトリエフは十分な数の火砲の到着を待たずに総攻撃を行ったが、40,000人の損害を出したが、目標は全く達成できなかった。同じ頃、ヒンデンブルクのドイツ第9軍は北部でワルシャワ方面への攻撃を開始した。ドイツのワルシャワへの攻勢と呼応し、スヴェトザル・ボロイェヴィッチのオーストリア・ハンガリー第3軍はプシェムィシル救出作戦を始めた。10月11日、ドミトリエフはプシェムィシルの包囲を解きサン川まで撤退し、1回目の包囲戦は終わった。しかし、救援軍自体の補給状況はひどい状態で、プシェムィシルの貯蔵していた弾薬・食糧に手を付けたので、要塞の補給状況は悪化した。 1ヶ月半後、ロシア軍の強圧により、オーストリア・ハンガリー軍は撤退を余儀なくされ、街は再び包囲された。街が包囲される直前に、食料不足を緩和させるため住民には一時避難が命じられた。
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