貿易商となるとは? わかりやすく解説

貿易商となる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 20:20 UTC 版)

桜沢如一」の記事における「貿易商となる」の解説

1893年10月18日京都市東山区祇園建仁寺付近生誕する。武士の家系に、紀州(今の和歌山あたり)を後にして京の都一旗揚げようとした夫婦の間に、如一生まれた。しかし不幸にも、父は如一6歳時に家を飛び出し、母の世津子は10歳時に肺病亡くなり天涯孤独となった1908年16歳時には肺結核腸結核など多くの病に苦しむようになる17歳で誌歌に触れ雑誌砂丘』を作り、他の誌歌の雑誌にも自分作品投稿したのである1912年20歳石塚左玄食養法に出会い健康を回復する別の書籍によれば14歳祖父三四郎、父孫太郎一家京都転居する貧窮の中で職を転々とする中で病気苦しみ20歳の頃、食養家の後勝次郎を通して、左玄の食養生触れる。 本も買えないほど貧乏であったが、苦労重ねて1913年には京都府第一商業学校現在の京都府西京高等学校)を卒業した同年貿易会社入り、また神戸仏語学校入学翌年この学校卒業し第一次世界大戦のため仏国領事シャルパンティエ推薦ロンドン汽船会社チャーター船事務長となる。当初貿易会社転々とした。また如一社団法人食養会入会し雑誌食養雑誌』に投稿をはじめる。さらにその翌年には神戸貿易会社支配人となるが、1917年には資金提供を受け貿易会社作って支配人となり、欧米にも渡るようになる羽二重輸出した貿易事業並行して1919年には如一雑誌『YOMIGAERI』を創刊して大和言葉よみがえり提唱し、また海外の本を輸入しては、シャルル・ボードレールの『NAYAMI NO HANA』(なやみの花、悪の華として知られる1920年)、ジョルジュ・ローデンバックの『TE NO SUDI』(手のすじ、1921年)、アルトゥル・シュニッツラーの『KURISUMASU NO KAIMONO』(クリスマス買い物1921年のような詩集翻訳し1923年には『NIPPON SISYU-KOTOBA NO HANATABA』(日本詩集言葉の花束)を、ローマ字社から出版した。「よみがえり叢書十数種を執筆している。雑誌読者運動の同志であった福永恭助と、同様にして当時大学生であった岩倉具実は約20年後にローマ字国語辞典出版し岩倉如一にこれを贈りベーシック・イングリッシュ運動かのように育っていることに如一感銘受けた。(2人共編1940年の『口語辞典―Hanasikotoba o hiku Zibiki』がある) 1920年には日本初放送機と受信機フランスより持ち帰りラジオ放送局下地作った1923年10月日本デブリ社を設立デブリ社の撮影機コダック社の生フィルム輸入し小型カメラ映写機特許もとったとされる高速度撮影機は当時珍しい機械であった5つ特許があり、たとえば35ミリフィルム半分の17.5にして使いフィルム75%の節約につながる。1927年には増谷麟と共に最新映画製作法』を出版するが、これはデブリ社の社長時代記念品遺品として陳列されてもよいほどであった当時如一の妻であった栄子何度も家出をしており、ジフテリアかかった二女信子如一預け1924年2月信子如一の腕の中で息を引き取ったパリへ武者旅行の間の1935年には超小型飛行機の「空のシラミ」(プー・ド・シェル)の専売権得て日本国産飛行させた。東久邇宮より「ヒバリ」と名付けられ新聞社からの購入もあった。その収入食養会復興にあてていた。未刊著書に「小型飛行機プウの作り方飛行独習法」があるが、戦争迫り日本飛行機社の竹崎社長急死したことなどでプウの普及実現しなかったということである。 ムダを嫌い、紙きれ一枚でも両面を使うよう人を教育した

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