タイガー・ジェット・シン〜作られたヒールとは? わかりやすく解説

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タイガー・ジェット・シン〜作られたヒール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 22:18 UTC 版)

タイガー・ジェット・シン」の記事における「タイガー・ジェット・シン〜作られたヒール」の解説

1972年アントニオ猪木を代表に新日本プロレス創立されるが、しばらくはNWA日本プロレス(後に全日本プロレス)、AWA国際プロレスとの提携により、当時ネームバリューの高い外国人選手のほとんどは、新日本プロレスへの参戦事実上不可であったまた、創立間もない新日本プロレス高額ギャラ外国人レスラー払え状況では無く無名選手育て上げるしかなかった。そういった背景があって、タイガー・ジェット・シン新日本プロレス売り込んだのは、当時インドと独自のネットワーク築いていた吉田なる貿易商とされる。この吉田氏香港シン試合観戦し新日本側に紹介したといわれている。猪木無名外国人選手プロフィール目を通している時に、口にナイフ咥えているシン写真注目した。この時猪木は、「ナイフじゃなくどうせならサーベルでも咥えさせてみろ」と語ったという。 このような状況1973年5月シン初来日した。ただし、本来は同年7月からのシリーズ参戦する予定だったのが、新日本プロレス渉外担当者の手続き間違いがあり、シンは二か月早く来日してしまった。 そこで同年5月4日会場川崎市立体育館の客席シン招いた新日本プロレスしてみれば、「手違いとはいえ、せっかく来日したのだから日本プロレスを生で見てもらおう」という、シン対す配慮だった。ところがこの日の山本小鉄対スティーブ・リッカード(英語版)の試合中シン突如乱入し山本小鉄メッタ打ちにした。この時はターバン巻いていたが、サーベル持っていなかった。 この様子を見た猪木目玉レスラーになると考え急遽渉外担当命じシンを一旦香港へ向かわせ、業務用ビザ受けた後に日本へ戻るよう指示したその間新日本プロレス前述猪木案を実現すべく、日本国内サーベル手配し日本戻ってきたシン与えたヒールとして日本活躍することを望んでいたシンは、大い喜んだという。 既述通りシンとスティーブ・リッカードは来日前から面識があったため、当初シンリッカードセコンド役という位置づけだったが、その尋常ではない暴れっぷりに人気集中しシリーズ終盤にはついに対猪木との初シングル戦が実現したこのような経緯経てターバン巻きサーベル振りかざすという、タイガー・ジェット・シン独自のスタイル確立されたが、当時新日本プロレスは、「タイガー・ジェット・シン勝手に日本に来た。決し新日本プロレス招いたわけでは無い」との旨のギミックシン売り込んだ。このギミックについて当時スポーツ新聞シンを「謎の怪人」「狂人後述する)」等と報道し、一応の成功収めた。後に「インドの猛虎」「狂虎」といった表現落ち着く

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