観光地としてのグレイスランド
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「グレイスランド」の記事における「観光地としてのグレイスランド」の解説
1977年のエルヴィスの死後、ヴァーノン・プレスリーが遺産管理人となる。1979年の彼の死に際し、エルヴィスの唯一の子であるリサ・マリーがまだ11歳だったためプリシラを遺産管理人とする。グレイスランドは維持費に年間50万ドルを要し、リサ・マリーに遺された遺産は100万ドルまで減少した。税金他費用が50万ドルを超すこととなる。グレイスランドを手放すかどうかの問題に直面し、プリシラは著名な邸宅や博物館などを調査し、グレイスランドを生まれ変わらせるべくジャック・ソードンをCEOとして雇い、グレイスランドは1982年6月7日に一般公開された。プリシラの賭けは成功し、一般公開の1ヶ月後には資金を全て取り戻した。プリシラはリサ・マリーが21歳になるまでエルヴィス・プレスリー・エンタープライズ (EPE) の会長及び社長を兼任すると宣言した。この事業は成功し、1億ドル以上の価値を生み出した。 エルヴィスの叔母であるデルタは夫の死後エルヴィスの招待により、グレイスランドが1982年にツアーを開始するまでここに住み、1993年に死去した。 グレイスランド及びエルヴィスの墓は1年のうち命日が一番混む。2002年の25回忌は豪雨にも関わらず4万人が訪れた。 1997年の20回忌ではエルヴィス・ウィークが行われ、世界中から数百の報道関係者と5万人のファンが集まった。 グレイスランドには彼の有名なヴェガス・ジャンプ・スーツ、各賞、ゴールド・レコード、大型ジェット機のリサ・マリー号、多数の車のコレクションなどを展示する博物館などを有す。 最近ではシリウス・サテライト・ラジオが敷地内にオール・エルビス・プレスリー・チャンネルを設置した。北アメリカのサービス加入者は24時間グレイスランドから発信されるエルヴィスの音楽を聴くことができる。 グレイスランドの通りの向かい側にプライベート・プレスリーと68年特別展示の2つの博物館が新設された。エルヴィスが設置した自然石の壁は現在もそこにあるが、ただの壁だと言う訪問客により落書きをされてしまっている。 グレイスランドはフラッシュ撮影とビデオ撮影は禁止だが館内を見てまわることは可能であり、日本語を含む音声ガイドがある。プレスリー一家に敬意を表すため2階のプライベート・ルームは公開されておらず、また彼が死亡したバス・ルームも意図とは違った関心を避けるために公開されていない。エルヴィスのベッド・ルームを含む2階フロアはエルヴィスが亡くなった日からその状態を保っている。 グレイスランドへの訪問客は向かい側の駐車場に駐車し、グレイスランドへ向かうためのシャトルバスに乗車する。音声ガイドのヘッドホンが配られ、グレイスランドの有名な門であるミュージック・ゲイトの絵が描かれた壁の前で記念撮影をしてもらえる。ツアー・バスはエルヴィス・プレスリー大通りを横切り、小さめのミュージック・ゲイトをくぐる。バスが止まる所にあるライオン像は大きな赤レンガの柱の方角を見下ろしている。エルヴィスの棺を追悼するために集まった3500人以上のファンはこのライオンの像の横を通って行った。 家は予想以上に大きく、主要部分の写真は公開されている。 係員がドアの前に立ち、グレイスランドはエルヴィスが22歳の時に購入し、グレイスという女性の名前からつけられたという簡潔な歴史を述べる。 おそらくフロント・ドアの上に位置すると思われる、エルヴィスが亡くなったバス・ルームは結局公開されたことがない。 「エルヴィス・ファンが最初に受けるショックは、家が大通りから意外と近いということです。」そしてある門からはショッピング・センターが見える。 グレイスランドに入るとすぐ、鏡の反射がある白い階段が目の前にある。右には一部だけが見られるミュージック・ルームと隣接したリビング・ルームがあり、鮮やかで大きな孔雀のステンド・グラスで仕切られている。ミュージック・ルームには黒い小型のグランド・ピアノと50年代型のテレビが見える。リビング・ルームには前庭に面した壁伝いに15フィートの白いソファーがあり、左に白い暖炉がある。エルヴィスが最後に父にもらったクリスマス・プレゼントの絵、両親であるヴァーノンとグラディス、エルヴィスとリサ・マリーの写真が飾られている。 階段を抜けると両親のベッド・ルームがある。 エルヴィスの両親の部屋は白が基調となっている。ベルベット調の暗い紫色のベッドカバーがクイーン・サイズのベッドに掛けてある。壁、ドレッサー、ベッド、カーペットは明るい白で、ガード・レールで訪問客から保護されている。右に、クローゼットには母グラディスが着たドレスのうちの4着または5着が掛けてあり、ガラスで仕切られている。左に、ピンクのフル・バス・ルームがあるがビロードのロープ・バリアのため、ほとんど見ることができない。 次にダイニング・ルームとキッチンを見ることができるが、エルヴィスの叔母のデルタが1993年の彼女の死亡時まで使用していたため、1995年まで一般公開されていなかった。続いて地階へ下り3台のテレビが視聴できるメディア・ルーム、バー、ビリヤード部屋を見ることがでいる。再度1階へ戻り、有名なジャングル・ルームを通る。外に出て、事務所を通り、ミシシッピ州トゥペロにある生家の縮小モデルを見ることができる。エルヴィスの射撃場はかつて燻製室だった場所にある。傾斜した芝生の上で馬が草を食べている様子を通り過ぎトロフィー・ルームに入る。当初この場所は家の後ろの歩道であり、彼の審美眼にかなった物に取り囲まれていた。現在中にはエルヴィスの初期の有名な金色のラメ・スーツが飾られている。 トロフィー・ルームの壁にはたくさんのレコード、映画のポスター、リップスティック、靴、1950年代に作られたエルヴィス人形などが飾られている。3回のグラミー賞、エルヴィスとプリシラの結婚式の衣装、リサ・マリーの人形やベビー服、ゴールド・レコードや賞などが展示されている。後半は68年の復帰の際に着用したレザー・スーツ、映画の脚本、映画の衣装、彼のトレードマークであるジャンプスーツなどが展示されている。ここにはエルヴィスが受けた全ての賞や様々な慈善団体に書いた小切手が展示されている。 再びいったん外に出て、今も馬のいる厩舎を通り過ぎ、隣のラケットボール・コートには現在スパンコールをちりばめたジャンプスーツが展示されている。古いカントリー・クラブを思い起こさせる入り口には暗い革張りのバー・チェアやソファがある。実際に使われたバーは右手にある。左手にはステレオ・システムを備えた座席がある。そこにはエルヴィスが最後に弾いたダークブラウンのアップライト・ピアノがあり、その際はウィリー・ネルソンの「雨の別離」(原題:Blue Eyes Crying in the Rain)とライチャス・ブラザーズの「アンチェインド・メロディー」(原題:Unchained Melody)が演奏された。エルヴィスの生前、ラケットボール観戦のため座席の辺りは床から天井まで耐破損性に優れた窓に覆われていた。エルヴィスの亡くなる朝早く、ガール・フレンドのジンジャー・アルデン、いとこのビリー・スミス、ビリーの妻ジョーはラケットボールをしていたがエルヴィスが洗髪と就寝のために家に入る前に演奏したピアノの歌でゲームは終わった。現在そのコートはたくさんのステージ衣装の展示に使用されている。多くの衣装は通りを挟んで向かい側のシンシアリー・エルヴィスに展示されている。たくさんのビニール盤レコードは死後に受賞した賞品と共に2面のコートに飾られている。大画面のテレビはグレイスランドのあちこちにある。ラケットボールのコートにはエルヴィスの映画やラス・ヴェガス・コンサートが絶えず流されている。エルヴィスがここへ引っ越してから作られたプールもある。 プールを通り過ぎると、エルヴィス、彼の母グラディス、彼の父ヴァーノン、祖母ミニー・メイ・フッド・プレスリーが埋葬されている瞑想の庭がある。 通りを挟んだ向かい側にはエルヴィスのピンク・キャデラックのある自動車博物館、彼の2台の飛行機、リサ・マリー号(コンベア880)とハウンド・ドッグII(ロッキード・ジェットスター)が展示されている。
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