西武・日本ハム時代とは? わかりやすく解説

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西武・日本ハム時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:06 UTC 版)

石井丈裕」の記事における「西武・日本ハム時代」の解説

プロ1年目1989年シーズンキャンプでは順調な仕上がり見せバッテリーコーチ黒田正宏からは「前年シーズン新人王森山良二並に活躍できる」と高い評価を受け、監督森祇晶にも開幕ローテーション入り期待されていた。また、投手コーチ八木沢荘六からはアマチュア時代2番手だったため、肩を酷使していない点も評価されている。 オープン戦でも150km/h近い速球武器13回1/3で失点1と好投し開幕から一軍入りを果たす。開幕後4月29日の対ダイエー戦で初セーブ挙げるが、続いて先発した5月4日の対オリックス戦10安打4失点打ち込まれるなどプロの壁に当たった後半戦リリーフ務め最終的に防御率4.33の成績終わった徐々に思い切りの良さ失われ、また変化球制球悪いことから投球単調になったという。また、プリンスホテル先輩である中島輝士死球与え骨折させたことを気にし、内角攻めにくくなっていた。 2年目1990年シーズンは、キャンプコーチ小山正明からパームボール伝授され、遅い球種得たことで投球の幅が大きく広がったシーズン先発となった5月12日の対ダイエー戦では2回途中でKOされたが、ブルペンでの内容良かったことから5日後の5月17日の対ロッテ戦に再び先発中日から移籍してきたベテラン大宮龍男の好リードもあり、初完封挙げると、次の5月25日でも完投勝利し先発ローテーション入り果たした7月までに6勝を挙げる活躍で初のオールスターにも出場した後半はやや伸び悩み8勝に終わったものの、チーム優勝貢献した同年読売ジャイアンツとの日本シリーズでは、西武の4連勝という圧勝投手を6人しか起用しなかったこともあり、出番はなかった。 1991年シーズンは、右後背筋痛などに苦しみシーズン通算は7勝に終わったものの、チーム連覇飾った同年広島東洋カープとの日本シリーズでは、第6戦で郭泰源の後を受け、4回を無失点切り抜けシリーズ勝利を挙げた1992年シーズンは、6月28日の対オリックス戦では被安打1のみの準完全試合という好投見せるなど先発として働く一方シーズン当初鹿取義隆潮崎並び抑え役もこなすなどの活躍ぶりを見せシーズン通算15勝3敗3S防御率1.94の成績優勝原動力となり、沢村賞MVPなど多くタイトル獲得したWHIPは0.88を記録し9月には4勝0敗で初の月間MVP受賞したこの年躍進し要因として、前年シーズンオフ伊東勤勧め始めたメンタルトレーニングノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブルを読んだ事で精神的に成長したことが挙げられている。レギュラーシーズン優勝決定戦7点をもらいながら4回2/3降板したためヤクルトスワローズとの日本シリーズでは初戦先発外された。石井自身与四球少なさからシリーズではリリーフ起用もあると考えていたというが、監督は7戦まで勝負もつれることを想定し最終戦先発石井にしたと語っており、そこから逆算して起用され第3戦の先発では、4番ハウエルから4打席4三振を奪うなど9奪三振広沢克己ソロ本塁打による1失点149球で完投勝利を挙げている。さらに第7戦では0-1迎えた7回表に岡林洋一から自ら右中間同点タイムリー放ち延長戦持ち込み10155球を投げ完投勝利チーム日本一果たし更には胴上げ投手にもなった)、シリーズMVPにも選出された。 1993年シーズンは、シーズン当初より完全に先発投手として起用され、郭の故障渡辺久信不調がある中、工藤公康とともに安定した働き見せる。このシーズンも4完封を含む12勝を挙げたが、その12勝目挙げた後は4連敗とやや尻つぼみな形で終える。ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは第4戦で先発し、1失点ながら4回で降板し、敗戦投手となった同年シーズンオフには2,800万円増の1億1,000万円契約更改し1億プレイヤーとなっている。 1994年シーズンは、先発調子が出なかったり勝ち星恵まれない試合多く先発では4勝6敗防御率3.75だったがシーズン終盤には郭泰源とともにリリーフ回りチーム11連勝支えた9月は1勝0敗4S防御率1.20と好投し月間MVP選ばれている。10月も1勝上乗せし抑えでの成績は2勝0敗4S防御率1.06の成績挙げ、この終盤石井活躍もあり、チームは5連覇飾った巨人との日本シリーズでも抑え役を務め第3戦では敗戦投手となったものの第4戦では9回途中から延長12回までを投げ抜き勝利投手となった。しかし、巨人王手掛けられた第6戦目では1点差に迫った8回裏ヘンリー・コトー追加点となる痛恨のソロホームランを打たれそのままチーム日本一逃した1995年シーズンは、再び先発ローテーション戻り4月に3完投を含む4勝を挙げ防御率0.79で月間MVP受賞するなど順調な滑り出し見せた。しかし7月15日対日本ハム戦の試合前の練習で左ふくらはぎ肉離れ起こし同年オールスターゲームへの出場辞退し代わりに郭泰源出場している。この影響腰痛のため、2ヶ月戦列離れシーズン通算では2年ぶりに二桁勝利を挙げる規定投球回数には到達しなかった。同年チームリーグ優勝逃し同年シーズンオフ更改年俸は9,800万円推定)と1億円を割り込んだ1996年シーズンは、5月2日対日本ハム戦で降板した直後右足激痛感じ経過観察後の7月9日軟骨除去手術行ない同年プロ初の未勝利終わった1997年シーズンは、5月24日対日本ハム戦で2年ぶりの勝利を挙げリーグ優勝にも貢献ヤクルトとの日本シリーズでも先発登板をしたが、同年シーズンオフ10月29日西崎幸広との交換トレード告げられ奈良原浩と共に日本ハムファイターズ移籍1999年シーズン移籍して2年一軍でも二軍でも思うよう結果残せず、同年10月7日日本ハムから戦力外通告を受ける。福岡ダイエーホークス横浜ベイスターズ阪神タイガース入団テストを受けるも、いずれも不合格ちなみに他のチームテストとの日程兼ね合いテスト回避した千葉ロッテマリーンズテストベテラン選手河野博文秦真司本西厚博)を大量採用する等皮肉な結果になった。(人間解析ドキュメント ZONEより) 「ZONE」では、日本ハムから戦力外通告受けてから台湾に渡るまでが放送された。全盛期イメージと現在とのギャップ、またテスト控えていたが怪我影響もあり、走り込みなどの調整上手く進めず、調整手伝ってもらっていた捕手八つ当たりをするなどこの時の苦悩鮮明に描かれ放送された。この放送回反響呼び以後プロ野球戦力外選手特集TBSでのプロ野球オフシーズン恒例番組になった

※この「西武・日本ハム時代」の解説は、「石井丈裕」の解説の一部です。
「西武・日本ハム時代」を含む「石井丈裕」の記事については、「石井丈裕」の概要を参照ください。

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