西武復帰・現役引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:57 UTC 版)
「オレステス・デストラーデ」の記事における「西武復帰・現役引退後」の解説
翌1995年には西武に復帰したが、半年以上のブランクがあり、また明らかな体重オーバーで往年の姿には程遠かった、と大塚光二に評されている。春季キャンプでは右ヒザを痛め、オープン戦が始まっても打撃の調子は上向かなかった。42試合に出場して5本塁打、20打点と期待ほどの成績を残せず、夫人との離婚や子供の養育について話しあうため、6月9日に退団を表明した。年俸については出場した分だけの支払いで合意し、本拠地での最終出場となった6月11日の西武球場での対ロッテ戦の試合後、ファンに別れのあいさつをしている。 帰国後はタンパベイ・デビルレイズでコミュニティ開発ディレクターを務め、タンパでヒスパニック系のコミュニティを訪問したり講演、野球教室などを行った。また、1996年には西武とデビルレイズの提携交渉にも携わっている。1997年には東京ドームでホームラン競争に参加し、ブランクにも関わらずホームランを打てたことでDHとして復帰するためのトレーニングを一時は真剣に検討した。 プロ野球マスターズリーグでは東京ドリームスでプレーし、2002-2003年には本塁打王となっている。その後は野球解説者を務め、2009年にはWBC東京ラウンドの解説のため、来日している。
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