1992年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 07:07 UTC 版)
「ジョーダン・192」の記事における「1992年シーズン」の解説
ドライバーはティレルから移籍してきたステファノ・モデナとレイトンハウスから移籍してきたマウリシオ・グージェルミンを起用。黒澤琢弥が191にヤマハエンジンを搭載したマシン191Yでテストを行った。しかし、シャーシとヤマハエンジンのマッチングがよくなかったことは開幕前から判明していた。 コンパクトなフォードHBエンジンからサイズや重量、発熱量などが異なるヤマハエンジンに載せ替えた影響は予想以上に大きく、対応が後手にまわることになった。とくに冷却系等に問題があり、開幕戦で急遽ボディワークに穴を開けなければならないほどだった。 信頼性に関しても最悪で、モデナが4回もの予選落ちを喫したほか、両ドライバー合わせて19回ものリタイヤとなった。ダブル完走が1回しかなかったのに対し、ダブルリタイヤが6回(予選落ち除く)にもなった。ポイント獲得は最終戦の1回(6位)しかなく、コンストラクターズランキングは前年の5位から11位に後退した。
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