裁判に至る経緯
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「オーデル・ナイセ線」の記事における「裁判に至る経緯」の解説
条約では、個人財産の扱いは触れられていないため、オーデル・ナイセ線以東でポーランドの共産主義化により国家に没収された個人財産を取り返すべきだと主張するドイツ人が存在する(主要な政治家ではエドムント・シュトイバー、クラウス・キンケルなどがその立場を取っていた。政党別ではキリスト教社会同盟に支持者が多い)。被追放者たちはドイツ政府からそれまでに喪失財産に関する補償金は受け取っている。ドイツ、ポーランド両政府は公式に「請求権問題は解決済み」の立場を取っていたが、これについて厳密に法的な処理が成されていないと解釈する者もおり、それによると請求権の行使が認められる余地が残されているとされ、両国間の政治問題となっていた。これはドイツ政府が法的処理を行うと、ドイツ人追放者から請求権の肩代わりによる財産補償請求が行われるのを恐れての結果とも考えられた。ドイツ人追放者の最大の団体である追放者連盟のエーリカ・シュタインバッハ議長はドイツ政府に、追放者財産の請求権を法的に処理するよう要求していたが、2009年時点でドイツ議会・政府において法的処理に向かう具体的な動きはなかった。この問題は、ドイツ人による財産返還請求に反発したポーランド議会が2004年9月にドイツを相手取った「戦争被害賠償請求決議」を行うなど、21世紀に入っても両国関係に影を落とし続けた。 また2005年11月に『デア・シュピーゲル』誌が発表した世論調査結果によると、ポーランド人の61%が、ドイツ政府が戦前にドイツ領だった地域を取り戻そうとしているか、あるいはその補償を求めてくるのではないかと考え、また41%は追放されたドイツ人の各団体の目的は失った個人財産の返還あるいはその補償にあるのではないかという危惧が示されるなど、被追放ドイツ人の財産請求に関する法的処理を先延ばしし続けるドイツ政府に対し、多くのポーランド人が強い不信感を抱いていた。
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裁判に至る経緯
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「ユニバーサル・シティ・スタジオ対任天堂裁判」の記事における「裁判に至る経緯」の解説
1982年、MCAとユニバーサル・シティ・スタジオの社長であり、経験豊富な弁護士でもあったシド・シャインバーグ(英語版)は、急成長するビデオゲーム市場への参入を狙っていた。4月、任天堂が開発した『ドンキーコング』の成功を知り、法律問題担当の副社長であったロバート・ハドルに調査を行わせた。ハドルの分析によれば『ドンキーコング』のストーリーは『キングコング』に基づいているため、ユニバーサルが保有するキャラクターやシナリオに関する権利を侵害している、というものであった(ユニバーサルは1976年にリメイク映画の『キングコング』を製作していた)。 また、シャインバーグは任天堂が家庭用ゲーム機市場に参入したコレコ(コレコビジョン)との間にライセンス契約を結んだことも知った。1982年4月27日、シャインバーグはコレコのアーノルド・グリーンバーグ(英語版)社長と会合を予定し、表向きはコレコへの投資の可能性について話すというものであった。しかし、実際には、シャインバーグはグリーンバーグに対し著作権侵害を警告し、コレコビジョンが計画通りに『ドンキーコング』を販売した場合には訴訟も辞さないと脅迫した。翌日、ユニバーサルはコレコと任天堂に対し、48時間以内に『ドンキーコング』の販売を中止し、すべての在庫を処分し、販売で得た利益の記録をすべて引き渡すようにテレックスした。5月5日、グリーンバーグは『ドンキーコング』の純販売価格の3%、600万本分、約460万ドル相当のロイヤルティをユニバーサルに支払うことに同意した。この1週間後にグリーンバーグは、コレコがロイヤルティを支払い続ける限り、ユニバーサルはコレコを訴えないという合意文書に署名した。 一方、ハドルはタイガー・エレクトロニクスが携帯ゲーム用にキングコングのライセンスを取得していることを知った。彼はタイガーに権利を認めてもユニバーサルが得られる利益はあまりにも少ないこと、またタイガーに独占的な権利を与えることはコレコとの合意に支障をきたすと判断した。5月4日にシャインバーグはタイガーに対し、メールグラムを送って、さらなる承認を得るためゲームを提出するよう要求した。ユニバーサルはそれを審査し、このゲームが『ドンキーコング』に似すぎていると判断した。5月8日にシャインバーグはタイガーのライセンスを取り消したが、タイガーの社長であるO. R.リスマンは、決定の受け入れを拒否し、キングコングの商標を所有しているというユニバーサルの主張に異議を唱えた。 任天堂のアメリカ法人の顧問弁護士(さらに後の取締役)であるハワード・リンカーンは、当初、500万-700万ドルで和解する方向に傾いていた。しかし、最終的にはアメリカ法人の責任者である荒川實に「これは任天堂が大成功を収めた証だ」と安心させ、戦うことを決心した。5月6日に荒川とリンカーンはロサンゼルスにてユニバーサルとの会談を持った。ハドルは『ドンキーコング』が『キングコング』に関するユニバーサルの権利を侵害しているとする見解を改めて指摘した。リンカーンは、任天堂の立場としてキングコングの名前とキャラクターの使用にあたってライセンスを受けていないものが多数あることを確認しており、これらに対するユニバーサルの商標は10年未満に過ぎないと反論した。内々ではグリーンバーグは任天堂にライセンス契約に署名するように説得しようとしていたが、すでに自分たちがユニバーサルと契約を結んでいることは隠していた。会議が終わるまでにハドルはキングコングの商標権の所有権に関する変遷リスト(Chain of title)を任天堂に送付することに合意した。しかし、その後の数週の間に送付されることはなく、リンカーンはユニバーサルに催促を行った。これに対しユニバーサルは、さらに強くロイヤルティを要求するという形で応じた。 リンカーンは「キングコング」に関するユニバーサルの主張の是非を調査し、それを認めることはできないと判断した。5月21日に任天堂から提案された会議が行われ、任天堂がついに屈したと思い込んだシャインバーグは、任天堂がこの問題の解決に同意すれば今後のユニバーサルに関するビジネスに関われるかもしれないとほのめかした。しかし、リンカーンはユニバーサルの脅しには法的根拠がないという任天堂の立場を繰り返しただけであった。後にリンカーンはこう振り返った。 荒川さんと私は「責任があると思ったら払いますよ」と彼(シャインバーグ)に面と向かって言いに行っただけのつもりであって、予め検討した結果、私達は何も悪いことをしていなかったのだから、何も支払う準備などしていませんでした。私達はただ、彼の顔を見てそのことを伝えたかっただけなのです。それが名誉あることのように思えました。結局のところ、ハドルは私達が金銭的な和解をするために来たのだと信じていたのかもしれません。ところが、彼が予想していたものとは違っていたのだからショックを受けており、本当に可笑しかったです。 — 法廷闘争が不可避と知ったハドルは、不正なライセンシー(実施権者)であるタイガーのリスマンに連絡を取り、キングコングを題材とした携帯ゲームについて妥協を示した。ハドルはライセンスの独占規定を削除し、この携帯ゲームを『ドンキーコング』と区別することでユニバーサルのライセンシーが任天堂の知的財産権を侵害したという反訴の可能性を弱めたいと考えていた。リスマンはこれに応じ、主人公に消防士の帽子を与え、樽のグラフィックを爆弾に置き換え、ゲームのステージの足場を曲がったものではなくまっすぐなものにした。このデザインは6月上旬に承認された。
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