裁判に至るまでの流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 10:21 UTC 版)
「金魚電話ボックス盗作裁判」の記事における「裁判に至るまでの流れ」の解説
1998年、現代美術家の福島県いわき市の現代美術作家山本伸樹がボックス内の受話器から気泡を生じさせるなどした「メッセージ」を発表。「メッセージ」は、電話ボックスのような造作物(電話ボックスそのものではなく、山本が一から制作したもの)を水槽として使い、その中で金魚が泳いでいる作品である。この作品は、いわき市立美術館や全国各地で展示され、メディアにも取り上げられ、山本の代表作となる。 2011年、私立京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)に設置されている在学生が自由に使える工房『ウルトラファクトリー(ディレクター・ヤノベケンジ)』にて、教授の指示のもと在学生6名らが電話ボックスに金魚を入れた山本の作品に造形と構造が類似した作品「テレ金」を制作した。大阪府の事業である「おおさかカンヴァス推進事業」の2年目にあたる2011年の公募にて選定され(募集期間:平成23年6月6日~7月22日)、当時の6名の在学生がアーティスト名「金魚部」として出品。この作品は複数の場所に展示が繰り返されることとなる。 2014年、金魚の産地として知られる奈良県大和郡山市の商店街の大和郡山市の郡山柳町商店街協同組合に譲渡された。この商店街に設置以降から、山本への盗作疑惑などといった誹謗中傷が発生し始める(山本が「メッセージ」を発表したのは1998年で「テレ金」は2014年である)。山本は設置した商店街に対して抗議したが、商店街に設置されて以降、大学生らが初期に命名した「テレ金」から、「金魚電話」そして「金魚電話ボックス」と、同一部材(同一作品)による作品が制作者名と作品名を変えながら繰り返し展示され続けるいう異様な事態に発展した。山本は柳町商店街側に抗議し続けたが、一切相手にされることがなく無視され続け、山本の類似作品が展示され続けた。やがて山本の周辺で「これは山本だけの問題ではない、芸術家の著作権についての大きな問題だ」との話が持ち上がった。 2017年、山本は訴訟を起こすのでなく互いに騒ぎ立てずに円満に解決できないかと考え、商店街と交渉することとした。大和郡山市の隣町である奈良市在住の作家寮美千子が山本の代理人となった。交渉はまとまり、山本は自身の作品の権利を認めてほしいというだけであったため、商店街に対して「著作物使用料」「著作権侵害の慰謝料」を一切請求せず、「金魚電話ボックス(テレ金)」は、山本の「メッセージ」が原作であることを明記し、設置費用はすべて山本がもち、柳町商店街の金銭負担はしないことを約束した上で公認作品として設置を再開することとなった。ところがその後、柳町商店街が一方的に合意を破棄。作品(金魚電話ボックス「テレ金」)を撤去しつつ、商店街側は「山本の著作権は侵害していない」「裁判になったら断固として戦う」と主張。山本はこれ以降相手にされることが無くなってしまい、他の人々からの意見もあり仕方がなく訴訟を起こすことにした。 2018年、「テレ金(金魚電話ボックス)」が自身の作品の著作権を侵害したとして、2014年から2018年まで市内に展示した商店街側に330万円の損害賠償などを求め訴訟を起こした。 作品を作成し、譲渡した京都造形芸術大学は「当時1年生であった6名は平成4年(1992年)前後の生まれであり、山本氏が発表された1998年の作品を、先行作品のリサーチにおいても気づいておらず「依拠性(著作権侵害)」という点では、参照できる状態ではなかった」とし、「もちろん、先行作品のリサーチでそこに及ばなかったことへの指導上の課題、主張の客観性という点でのご意見はあるかと思います」とした上で、指摘されている海外も含めた他の作品と「本質的な特徴の同一性」を有するとは言い難いとした。
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