肯定論者の主張
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「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」の記事における「肯定論者の主張」の解説
中西輝政は著書『歴史の書き換えが始まった!』において、『文藝春秋』1954年12月号に載った「私が張作霖を爆殺した」(いわゆる、河本告白記)が、河本の義弟で作家の平野零児による口述筆記であり、平野が戦前は治安維持法で何度か警察に捕まったとされる人物であると主張し、事件に関する内容の「殆ど全部が伝聞資料」であるとし、文藝春秋に平野が持ち込んだ原稿ではないことや、当時の英国情報部も独自の調査でソ連犯人説を採用している事などを根拠にソ連の関与を肯定する主張をしている。 中西は文藝春秋の『諸君!』2006年6月号の瀧澤一郎(元防衛大学校教授)らによる『あの戦争の仕掛人は誰だったのか!?』と題する座談会の中の「張作霖爆殺の犯人はソ連諜報員か」との中で『日本側の史料として特に重要なのは、田中隆吉証言です。彼は東京裁判で「河本大佐の計画で実行された」などと検察側証人として証言していますが、その根拠はすべて伝聞で、特にこの人物の背景をもう一度掘り下げて調べる必要があります。またそれ以降に出た数々の「河本大佐供述書」も、二十数年後に中共が作成したもので信憑性はずいぶん低い』と主張している。中西はまた事件当時、英国の陸軍情報部極東課が調査し、ソ連の仕業だとの報告を本国へ報告。報告を受けた英国政府は日本政府が関東軍の仕業と判断した事を知り、念のために再調査した所、やはりソ連の謀略であるとの結論を出したと主張している。また河本がやったと主張したのは「そういう洗脳工作によって河本大作は本当に「自分でやった」と信じていたのかも知れません」とソ連工作員に洗脳されたと主張している。 この説を前述の「誰も知らなかった毛沢東」を根拠に「実証」されたものであると、田母神俊雄が「真の近現代史観」懸賞論文第一回最優秀藤誠志賞受賞論文および著作『田母神塾―これが誇りある日本の教科書だ』のなかで、爆破は下方の線路側からのものではないとの判断を根拠にソ連コミンテルン陰謀説を主張している。それによれば、張作霖が乗車していた客車の破壊は車両上部に集中している事から、車両の走る線路路盤に仕掛けた爆弾が炸裂したのではなく、上から攻撃されたとし、客車の上部が破損しているが、客車の足回りが破損していない。よって状況が違うから関東軍の関与はなかったと主張している。また加藤康男も『謎解き「張作霖爆殺事件」』の中で当時の写真を基に列車の上部が破壊し客室内部が焼損しているのに対し、客車の側面や足回りが破損しておらず、外部からの強い衝撃を受けたにも関わらず殆ど脱線もしていないことに疑問を呈している。 『正論』2006年5月号によれば、この謀殺は周到に計画されたものであり、日本軍特務機関がやったように見せかけたとしている。特別列車が爆破されたとき、張作霖の乗っていた車両の隣の客車にはソ連諜報員のイワン・ヴィナロフが乗車しており、事件現場の写真を撮ったとしており、中西は『諸君!』2006年6月号で『エイティンゴは、橋梁や線路の爆破ぐらいでは致命傷は与えられないから、自分たちが爆破に直接関係したと言って、客車の写真を撮って、それを自分の功績、証拠として、その壊れた客車の写真を自分の回顧録にわざわざ載せて、そして自分がやったんだとはっきり言っているんですね』と、写真はソ連工作員が直接撮影したとしている。 前述の田母神と親交があり彼の歴史観に影響を与えたといわれている元谷外志雄は『日本は東京裁判史観に苦しんでいるのです。「日本が侵略戦争を始めた」という嘘の歴史を基に、中国や韓国、アメリカが日本をいまだに貶めている』と述べている。プロホロフは、これにたいし「そうかもしれません。ただ、東から西への大規模な軍の移動というのは、ありませんでした。強兵で知られていた極東のソ連軍は、配備されたままでした」として、対日戦をせずに対独戦にソ連が勝利できたという元谷の主張に同意したほか、「東京裁判でも、日本人の実行者や命令者の証言があり、関東軍犯行説が定説化していったのです。しかし東京裁判でも、ニュールンベルグ裁判でも、ソ連は自国の国益のために、日本人を含む多くの証人に偽証をさせているのです。これらの裁判の証言を信用してはいけません」としている。なお彼は物的証拠があるとすればロシア連邦大統領の古文書保管所にあるはずだと主張」している。 瀧澤は、「日本犯行説」の根拠としてよく引用される河本大作の「手記」と立野信之の小説『昭和軍閥』に関して疑問を呈しており、「なぜ中国の歴史家たちが学術論文の傍証に小説を引用するのか理解に苦しむ。」とし、立野宅には党員作家小林多喜二が隠れており逮捕されたこともあるように、立野とは「プロレタリア作家であり、このような人物が書いたものは「自虐史観」に囚われる可能性は十分に考えられる」としている。また河本大作の手記が世に出ると「日本犯行説」を当然のものとして疑わない多くの著者たちは、この「手記」をこぞって引用したが、しかしこれは河本の自筆ではなく、義弟で作家の平野零児が「私が河本の口述を基にして筆録したもの」と主張しているものであり、本当に口述を基としているのかの証拠もなく信頼性が低いもので、また平野は「中共」の収容所から帰国した人物で「マインド・コントロール」が解けないまま、特殊目的を持ってこの「手記」を記述したことも十分に考えられるとしている。そして著書『GRU帝国』について「出版されて間もない頃、筆者はたまたまモスクワの本屋で見つけ、おもしろいので一気に読み終えた。とりわけ張作霖爆殺の「ソ連犯行説」は興味深く読んだが、情報の出所が明示されていないのが気になり、他の裏付け情報が現れるのを待っていた。ところが、出版から五年以上たった今でも、なにも出てこないのである。ここが「ソ連犯行説」の最大の弱みなのだ。この「新説」はロシアの新聞や雑誌でも紹介されてはいるが、根拠となっているのはいつもコルパキヂ=プロホロフ説なのである。」と批判しつつ、一方で「ソ連犯行説」も「日本犯行説」も、現段階では決定的説得力に欠けており、特に「日本犯行説」に数々の捏造疑惑があるのに反して、「ソ連犯行説」は、あと一つか二つのソ連側の資料が出てくれば決着し、これは時間の問題だとしている。
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