経緯と主なレースとは? わかりやすく解説

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経緯と主なレース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 03:10 UTC 版)

ヨーロッパグランプリ」の記事における「経緯と主なレース」の解説

モータースポーツ、およびF1の黎明期においては毎年各国持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対してヨーロッパGP」の冠をかけ、レースが行なわれていた。その名が最初に冠されたのは1923年イタリアGP(1923 Italian Grand Prix)だった。F1世界選手権開幕戦である1950年イギリスGPにも「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。 現代F1においての第1回ヨーロッパGP1983年行われたが、元々はニューヨークで実施されるはずであったレース急遽キャンセルとなったことを受け、当時シルバーストーン交互にイギリスGP開催していたブランズ・ハッチ代替地として選ばれたものであった。 翌1984年ブランズ・ハッチにてイギリスGP開催されることとなっていた為、従来F1を開催していたロングコース南側に新コースGPコース)を建設したニュルブルクリンクにて開催したヨーロッパGPは翌1985年ブランズ・ハッチでの開催の後、暫く開催されていなかったが、8年後の1993年に、日本オートポリス前年までのメキシコGPに代わって開催予定されていたアジアGPが、バブル崩壊によりサーキット運営会社倒産するという事態に陥ったことからキャンセルとなり、急遽ドニントンパークでのヨーロッパGP振り替えられることとなった。このレースの中の開催となり、5位スタートアイルトン・セナがオープニングラップで順々に4台をオーバーテイクし、1周目終了したときには首位立っていた。 翌1994年スペインヘレス開催されたが、1995年からはドイツ国内でのF1人気の高まり受けてドイツでの第2のGPとしてニュルブルクリンクヨーロッパGP開催されることとなったその後1997年1998年にはルクセンブルクGPと名称を一旦変更するが、2007年までニュルブルクリンクでのレース毎年開催された。 1997年には、前年まで開催されていたエストリルでのポルトガルGPが、サーキット設備等問題カレンダーから外れた為、この代替として再度ヘレスヨーロッパGP開催されることとなった。これはこの年最終戦としての開催であり、ミハエル・シューマッハジャック・ヴィルヌーヴによるタイトル争い決定戦となったが、シューマッハヴィルヌーヴ追突した行為が、ドライバーズチャンピオンシップのランキング剥奪裁定受けた獲得ポイントなどの剥奪はなし)。なお、この件に関する制裁一環としてシューマッハFIAからシーズンオフ交通安全キャンペーンでの奉仕活動命じられている。 1999年は、ニュルブルクリンクへ再移動ミカ・ハッキネンエディ・アーバインハインツ=ハラルド・フレンツェンデビッド・クルサードによる四つ巴タイトル争い渦中開催された。GP間中時折降ってはやむ奇妙な天候続き波乱の展開となった決勝は、ポールポジションからスタートしレースリードしていたフレンツェン電気系統トラブルストップしたのを皮切りにデビッド・クルサードジャンカルロ・フィジケラが共にスピンオフによるリタイアラルフ・シューマッハスピン順位落としトップ立ったドライバー続々アクシデント見舞われ最終的にその年まったく目立った活躍をしていなかった伏兵ジョニー・ハーバートスチュワートチーム初にして唯一となる優勝もたらしている。後方でもミナルディルカ・バドエル一時4位を走行するなどの波乱がみられ、レース後の悲喜こもごも印象的だったレースでもある。 2007年は、予選ルイス・ハミルトンクラッシュ起こして出場危ぶまれたが、翌日検査結果出場許可出された。決勝は、スタート直後大雨降り路面雨水あふれて滑りやすい状態になり、第1コーナーで6台がコースアウトするなど大波乱の展開となった。この時、このレースF1デビュー戦だったスパイカーマルクス・ヴィンケルホック一時トップに立つという大活躍を見せたその後20分間中断された後に再開レース終了間際再度降雨見舞われその間フェルナンド・アロンソフェリペ・マッサ抜いて優勝したが、邪魔をされたとして終了後マッサ口喧嘩する場面があった。なお、この年よりFIAグランプリ一国開催原則厳格に運用する方針打ち出した(ただし、これは後にうやむやとなり、上記通り2008年以降はスペイン・バレンシアでの開催となった。)ため、ドイツ国内でのF1グランプリニュルブルクリンクホッケンハイム1年おきに交互開催することとなったドイツ国内F1レース単独開催となったため、本来であればドイツグランプリ名乗るはずではあるが、四輪レースにおけるドイツグランプリの名称を使用する権利ホッケンハイム側が独占的に保持しており、ニュルブルクリンクホッケンハイム側との交渉妥結せず「ヨーロッパグランプリ」の名称を使用することとなった。なお、のちにこの問題解決し2009年ニュルブルクリンクで「ドイツグランプリ」の名称での開催となった2008年は、スペイン・バレンシアでのヨーロッパGP初開催された。市街地サーキットとされる道幅広くランオフエリア十分に確保されている一方抜きにくいレイアウトでありコース上でオーバーテイク数は少なかった開催初年度フェリペ・マッサが、ポールポジション優勝ファステストラップハットトリック達成する完璧な週末見せバレンシア市街地コース初代ウィナー栄冠獲得した2012年は、地元スペイン英雄フェルナンド・アロンソバレンシア初め制した抜きにくいバレンシア市街地コース11番手からのスタートとなったアロンソは、スタートで8番手まで浮上すると、セーフティーカー導入のタイミング2回目ピットストップ終えた段階3位まで順位上げたレース再開されると、最初ブレーキングポイントである2コーナーロマン・グロージャンオーバーテイクする。その直後先頭を走るセバスチャン・ベッテルがマシントラブルでリタイアすると、先頭立ったアロンソ最後まで逃げ切り見せた経済状況思わしくないスペインで、ラファエル・ナダルテニス全仏オープン優勝土曜日UEFA欧州選手権でのサッカースペイン代表チーム準々決勝勝利などスポーツ界では明る話題続きアロンソも、「皆、スペイン人であることにある種誇り感じている。僕も何かしなければならない思っていた。だから今日胸がいっぱいだ」とレース後に語った2016年は、アゼルバイジャンバクー初開催されたが、ニコ・ロズベルグ一度首位を譲らずポール・トゥ・ウィンファステストラップ記録してグランドスラム達成したフリー走行予選ではコースアウトクラッシュ多発し赤旗中断もあったが、決勝ではセーフティカー一度出動しなかった。また、バルテリ・ボッタス予選におけるF1最高速度の378km/hをマークしている。前述通り2017年からアゼルバイジャンGPとして開催される

※この「経緯と主なレース」の解説は、「ヨーロッパグランプリ」の解説の一部です。
「経緯と主なレース」を含む「ヨーロッパグランプリ」の記事については、「ヨーロッパグランプリ」の概要を参照ください。

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