経緯と判旨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 13:50 UTC 版)
原告は十和田観光電鉄の従業員であったが、1959年(昭和34年)、市議会議員として立候補、当選した。原告は当選後、会社に議員就任中は休職扱いとしてもらいたいことを申し出たが、会社は従業員が会社の承認を得ずに公職に就任した場合は懲戒解雇する旨の就業規則に該当するとして、原告を懲戒解雇とした。 原告はこのような就業規則の規定は労働基準法7条等に反し無効であって、それゆえ懲戒解雇も無効であると主張して訴えを提起した。第一審(青森地裁)、第二審(仙台高裁)ともこの懲戒解雇を無効とし、会社側は上告、最高裁第二小法廷も1963年(昭和38年)「労働基準法第7条が、特に、労働者に対し労働時間中における公民としての権利の行使及び公の職務の執行を保証していることにかんがみるときは公職の就任を使用者の承認にかからしめ、その承認を得ずして公職に就任したものを懲戒解雇に附する旨の就業規則の条項は労働基準法の規定の趣旨に反し、無効と解すべきである。したがって公職に就任することが会社業務の遂行を著しく阻害する場合においても、普通解雇に附するは格別として、就業規則の同条項を適用して従業員を懲戒解雇に附することは許されないものといわなければならない。」とした。
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