経緯と展開とは? わかりやすく解説

経緯と展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 02:41 UTC 版)

オープンアクセス」の記事における「経緯と展開」の解説

第二次世界大戦以降行われたアメリカ・ソ連を代表とした研究助成および高等教育支援は、研究者数を増加させ、学術論文学術雑誌増加させていった学術論文増加は、学術雑誌における編集プロセス増大出版費用増加引き起こした。これに加え出版業界合併買収による市場寡占原因となり、学術雑誌価格高騰していった。1970年ごろから学術雑誌価格毎年10%ほど上昇続け、これは大学図書館購入予算伸びよりも大きく1990年ごろには大きな問題となっていた。購読中止する図書館あらわれ、それがさらなる価格上昇へとつながっていった。シリアルズ・クライシス(英語版)と呼ばれる問題である。日本の国立大学でもこのシリアルズ・クライシスの影響を受け、海外誌の受け入れ1990年から激減している。大学図書館共同購入体制確立し、この難局乗り切ろうとした。この頃インターネット発展とともに電子ジャーナル増え始めビッグディール包括契約方式)という契約盛んに結ばれたビッグディールとは、ある出版社発行している電子ジャーナル全てまたは大部分アクセスできるという契約で、わずかな料金の上乗せ多数電子ジャーナル閲覧できるうになる論文1本あたりの単価安くなり、また規模小さな図書館であっても大規模な図書館同等資料アクセスできることなどから、シリアルズ・クライシスの救世主としてもてはやされた。 しかし、ビッグディール契約を結ぶことは大きな固定費抱え込むこととなり、予算柔軟性を欠く結果となる。大規模機関ともなると、たった一つビッグディール契約でも数百ドルかかるという。また、ビッグディール図書館の資料購入全体圧迫しジャーナル以外の購入悪影響を及ぼす。特に、ジャーナルではなく単行書での出版一般的な人文系研究には影響大きい。実際に一橋大学附属図書館は、電子ジャーナル購入費により単行書予算圧迫されたのを一つ理由として、電子ジャーナル契約解除している。その上高額な契約にも関わらず予算節約のためにいくつかのタイトル契約解除するといったことが出来ず、「全か無か」といった形になるのもマイナスポイントである。オープンアクセスに深い関わりを持つジャーナリストのリチャード・ポインダーはビッグディールを「カッコウ」と表現し、「カッコウは、ひとたび巣に居座るや否や、餌を食いつくし、他の雛を追い出してしまう。」とビッグディール危険性指摘している。結局ビッグディール一時しのぎ過ぎず、シリアルズ・クライシスの救世主とはならなかった。 こうした学術雑誌寡占価格高騰という研究成果自由な流通妨げ状況打破しようと、1994年、スティーブン・ハーナッドはメーリングリストに「転覆提案英語版)」と題した文章投稿した出版社支配する体制を「転覆」させ、研究者セルフアーカイブ用いて論文公開するのが、あるべき姿だと説いていた。ハーナッドがセルフアーカイブお手本として挙げたのが、E-print archive であった1991年ロスアラモス研究所ポール・ギンスパーグによって始められた E-print archive は、物理学分野プレプリントサーバであり、投稿され論文自由に利用できるものであった研究者にとって論文出版とは、自分研究世に知らしめ、研究者としての評価高めるためにあり、利益求めるためのものではないという考え方根底にあり、ハーナッドの提案もこれに則ったものであった。ハーナッドの提案反響呼び本にもまとめられた。ポインダーは、ハーナッドのこの提案オープンアクセス原点挙げている。 オープンアクセス歴史において SPARC (Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition) もまた、重要な源流として知られるSPARCアメリカ研究図書館協会英語版) (Association of Research Libraries, ARL) が、価格高騰市場寡占に不満を覚え商業出版社に対抗するため1998年設立したもので、初期には競合誌発行主な活動であったその狙いは、競争原理により既存学術誌価格下げさせることであったエルゼビアTetrahedron Letters対抗誌として、アメリカ化学会組んで創刊しOrganic Letters大きな成功収めたが、狙いとしていた価格引き下げとまでは至らず既存大手出版社揺るがすほどではなかった。 ハロルド・ヴァーマス中心となって2000年PLoS (Public Library of Science) が発足したPLoS商業出版社に対し出版から6ヶ月以内公開アーカイブ論文提供することを求め、これに応じない場合投稿購読などについてボイコットを行うという声明出した。3万人上の研究者から署名集まったにも関わらず、これに応じた出版社ボイコット行った研究者存在しなかった。 2001年12月オープンアクセスに関する初めての国際会議ブダペスト開催された。この会議基づいて2002年公表されたブダペスト・オープンアクセス・イニシアティヴ (BOAI) は、オープンアクセスという用語を広めオープンアクセス理論的基盤与えたと言われる大きな転換点であったBOAI ではオープンアクセス実現方法について、BOAI-I(グリーンロード)と BOAI-II(ゴールドロード)を提示している。BOAI-I は自身WEBサイト機関リポジトリ用いてセルフアーカイブを行う方法で、ハーナッドが強く提唱している方法である。BOAI-II はオープンアクセスジャーナル出版によってオープンアクセス達成する方法である。 これと前後する2000年には、最初オープンアクセス専門出版社BioMed Central設立され2003年には PLoSオープンアクセス誌 PLoS Biology発刊している。最初オープンアクセスジャーナルがどれなのか、について定説はないが、オープンアクセスを広い意味で捉えれば世界最初電子ジャーナルNew Horizons in Adult Education」が最も古いオープンアクセスジャーナルであり、狭義にはフロリダ昆虫学会の「Florida Entomologist」において、著者費用負担し読者無料で読むことができるという、その後オープンアクセスジャーナルにつながるサービス1994年開始したのが原点であると考えられている。 その後オープンアクセス運動さまざまな批判を受けながらも、着実にシェア拡大し大手商業出版社も参入する事態となっている。また、メガジャーナル呼ばれるタイプオープンアクセスジャーナル誕生している。

※この「経緯と展開」の解説は、「オープンアクセス」の解説の一部です。
「経緯と展開」を含む「オープンアクセス」の記事については、「オープンアクセス」の概要を参照ください。

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