経緯と批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 15:58 UTC 版)
冒険家のベルナルド・ウェーバーによって提案され、フェデリコ・マヨール前・ユネスコ事務局長を中心とした実行委員会が候補地を絞り込んだ。最終結果は2007年7月7日にポルトガルのリスボンで発表された。 ユネスコ公認であるかのように誤解を招く表現を使用していたことに対する批判もあり、最終結果の発表に先立つ2007年6月20日、ユネスコは、「新・世界七不思議」が世界遺産やユネスコとなんら関係ないと声明を発表した。新・世界の七不思議については、幾度も支援依頼を受けたが、協力しないと決められた。 「新世界七不思議財団」は1億票以上がインターネットや電話を介して集められたと主張しているが、特に重複投票を防止する措置が講じられていたわけでもなく、もともと非科学的な投票だったと言われている。投票は公式サイトでのオンライン投票は電子メールアドレスを記入する必要があるため、メールアドレス毎に1回のみ可能であるが、SMSや電話での投票は無制限に行うことが可能であった。 新・世界七不思議の21の最終候補には、日本から唯一京都市にある清水寺が掲載されたが、新・世界七不思議には選定されなかった。 2011年には新・世界七不思議 自然版が選出された。全世界で261箇所が立候補し、その中から候補地が、2009年7月21日には28箇所に、8月25日には14箇所に絞りこまれた。そして2011年11月11日に投票が締め切られ、新・世界七不思議 自然版が公表された。この選定についても、韓国では済州島が選定されることを目指して、済州道の職員が2億回を超えると推定される組織的な投票を行っており、市民・社会団体から批判を受けた(詳細は新・世界七不思議 自然版#批判参照)。
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