終戦と大統領職とは? わかりやすく解説

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終戦と大統領職

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:45 UTC 版)

カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム」の記事における「終戦と大統領職」の解説

1944年6月フィンランドソ連からの大規模な攻勢受けていた。ドイツラップランド軍司令であるエデュアルト・ディートル上級大将フィンランド支援動き本国からの増援とりつけたが、飛行機での移動中に墜落死した。ドイツ外相リッベントロップは、援助引き換えフィンランドが公式に継戦する誓約求めソ連正式な降伏求めたリュティソ連要求議会知らせずドイツ要求検討行ったマンネルヘイム議会正式な承認ドイツ協定を結ぶことに懸念示し首相のエドウィン・リンコミエス(英語版)はソ連降伏求めていることを公開しなければ議会ドイツ要求承認しない判断したリュティ個人として約束しその後ロシアとの単独講和の際は大統領辞めることでドイツとの協定反故にすることを法律学者検討させて可能であるという判断得たリュティ議会承認得ず協定サインしドイツと共に戦うことを誓うリュティリッベントロップ協定ドイツ語版フィンランド語版、英語版)を結んだ。この協定フィンランドドイツから大量支援物資得たマンネルヘイムソ連攻勢対応し侵攻停止させた。その後主戦場フィンランドから欧州へ向かい7月ソ連から降伏含まない和平打診得た。 リュティ・リッベントロップ協定背いて単独講和を行うため、リュティ辞任した8月4日議会特別立法で、マンネルヘイムは第6代大統領となったマンネルヘイム国内的に国際的にも、フィンランド戦争から解放するために十分な威信を持つ唯一の人間であることが明らかであった。彼はフィンランド人多く信任を受け、また、戦争から平和へフィンランドを導くことのできる事実上ただひとりの権威であったドイツフィンランドの間の条約リュティ個人結んだものとして破棄したフィンランドの立たされた危険な状況は、大統領府前での就任演説にも反映された。 議長温かいお言葉感謝申し上げます誉れ高い議員皆さん国難時に国家の長たる職務2度目許しいただいたことに、私にのしかかる責任重く感じてます。大きな課題は我々の未来を守るために打ち勝たなければならない困難です。今、真っ先に私の心にあるのはもう5年の間戦っているフィンランド軍のことです。議会政府支援と我々を支え人々満場一致によって、我々は独立国家の存続維持成功すると私は望み、そう信じております継続戦争厳しい条件終結した。しかし、ソ連国境越えたほかの国に比べれば領土大半も、主権も、議会制民主主義も、経済の自由も維持されるなど、幸運なものであったカレリア全土とペッツァモを失い数多くカレリア難民フィンランド国内安住の地求めた賠償金として3億ドル当の物資支払うことになった。さらにフィンランド12月までに動員解除して常備軍のみに縮小する同時に北部からドイツ軍撤退させるためにラップランド戦争戦ったソ連優位連合国管理委員会受け入れながら戦後復興受け入れなければならなかった。この難し時期通してフィンランド導けたのはマンネルヘイムただ1人であったことは広く認められている。 大統領として任期マンネルヘイムにとっては難しいものだった6年任期があったが、すでに70後半であり、強い要請受けて不本意ながらその職に留まった。頻繁な病気連合国管理委員会要求戦争責任裁判によって状況悪くなった。彼は任期中多くの期間、委員会平和に対する罪によって自分告訴するように要求することを恐れていた。しかし、これらの告訴行われることはなかった。理由1つとしてスターリンマンネルヘイムへの感心と尊敬があるとされるスターリン1947年モスクワフィンランド代表団にフィン人は老元帥多く借りがあると語っている。いずれにせよ彼の一意フィンランド占領されなかった。連合国管理委員会いくつかの要求に対してマンネルヘイム批判持っていたにもかかわらずマンネルヘイム休戦義務を果たすために働いたマンネルヘイム戦後フィンランド復興における仕事必要性強く感じていた。 マンネルヘイム議会政治について学ばなければならなかった。彼は貴族政治観のために議会政治を完全には尊敬していなかった。また、時にはいやいやながら共産党初の大臣任命しさえした。 マンネルヘイム1945年に健康問題再発して仕事支障来たし同年11月から1946年2月まで仕事から離れて病気休暇取った休養のため南フランスポルトガル過ごした戦犯裁判評決発表の後、マンネルヘイム大統領辞職決意した休戦条約を結び、ラップランド戦争趨勢決まったことで自らに求められ役目果たした考えた1946年3月4日マンネルヘイム大統領辞職した1918年には政敵であったフィンランド共産党員でさえ、難し時期国家結束維持するためにはらわれた努力その役割感謝した首相である保守派ユホ・クスティ・パーシキヴィ後任として第7代大統領となった

※この「終戦と大統領職」の解説は、「カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム」の解説の一部です。
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