終戦と戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 04:42 UTC 版)
「ディートリヒ・クラゲス」の記事における「終戦と戦後」の解説
ブラウンシュヴァイク市が米第9軍(英語版)の第30歩兵師団に占領された翌日、クラゲスは1945年4月13日にアメリカ対敵諜報部隊(CIC)によって逮捕され、1946年のビーレフェルトでの軍事法廷でSS指導者としての罪により、懲役6年の判決をうけた。 1950年にブラウンシュヴァイクに赴任してきたフリッツ・バウアー(ドイツ語版)検事は、1960年代のフランクフルト・アウシュビッツ裁判でも検察として活躍し、1950年4月4日にナチ政権下でのブラウンシュヴァイクの政府首班による犯罪について、通常の刑事裁判でクラゲスに終身刑が言い渡されることに大きな役割を果たした。 クラゲスに終身刑が言い渡されたのはこれが初めてだったが、連邦最高裁は早くも1952年にこの判決を覆している。殺人、拷問、自由剥奪などに関与したこと、あるいはこれらの共同謀議が証明された第2審では、クラゲスの懲役刑は15年に減刑された。クラゲスは、自分は事務的な職務についていただけなので何も知らなかったと主張し、ナチスによる政治テロの実態については部下に騙されていた、と弁明している。 1955年に、クラゲスの妻は釈放を二度、申請したがいずれも却下された。しかし、1957年に刑期の服役を満たしたとされ、クラゲスは釈放された。その後、クラゲスは妻と共にバート・ハルツブルク(ドイツ語版)へ移住し、1971年に亡くなるまで、右翼団体の著者として活動し、ニーダーザクセン州のネオナチ団体に関与していた。
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