競走中の落馬によって命を落としたり、騎手生命を絶たれた日本の騎手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 04:54 UTC 版)
「落馬」の記事における「競走中の落馬によって命を落としたり、騎手生命を絶たれた日本の騎手」の解説
本項では落馬により死亡、騎手生命を絶たれた人物について抜粋記述する。 加藤義雄(日本レース・倶楽部・1933年落馬、死亡)5月13日の横浜競馬場第2競走(抽籤新馬)で、9頭中5頭が落馬した事故で殉職。加藤は本競走がこの年最初の騎乗で、単勝1番人気馬に騎乗しての悲劇であった。 茂木勢一(日本競馬会・1938年落馬、死亡)4月3日の中山競馬場第7競走(抽籤馬障害特ハン)で落馬。 吉田弘(日本競馬会・1940年落馬、死亡)3月29日の小倉競馬場第5競走(古呼障害)で落馬、後続馬に蹴られて即死した。 村口繁一(日本競馬会・1942年落馬、死亡)10月4日の阪神競馬場第8競走(呼馬障害)で落馬し、14日死去。 武富三(日本競馬会・1944年落馬、死亡)5月7日の東京競馬場での春季能力検定競走(第7競走・呼馬障害)でイソノマツに騎乗して落馬。この日既に1勝2着1回を挙げ、開催期間中6勝を記録していた中での事故であった。 岩瀬三郎(日本競馬会・1948年落馬、死亡)5月15日の東京競馬場第4競走(アラブ系障害)で落馬。 吉田昌祐(国営競馬・1949年落馬、死亡)3月13日の東京競馬場第4競走(アラブ系障害特ハン)で落馬。 横山靖(国営競馬・1953年落馬、死亡)2月18日の小倉競馬第6競走(サラ系4歳)で落馬し、夜に死去。武田文吾は義兄。 田畑志郎(国営競馬・1953年落馬、死亡)5月10日の東京競馬場第4競走(サラ系障害)で落馬し、11日死去。 谷岡敏行(国営競馬・1953年落馬、死亡)朝日杯3歳ステークスでの事故であった 西橋康郎(中央競馬・1955年落馬、死亡)1月9日の京都競馬場第4競走(サラ系障害)で落馬し、11日死去。西橋は1936年生まれで、1954年3月にデビュー。わずか19歳2ヶ月での悲劇であった。 若松幸治(中央競馬・1955年落馬、死亡)8月4日の小倉競馬場での調教中に、腹帯が切れて騎座変により落馬し即死した。 大柳英雄(中央競馬・1955年落馬、死亡)死亡年度の全国リーディング7位。2年目での悲劇。 鳥谷部実(中央競馬・1955年落馬、死亡)11月17日の中山競馬第4競走(サラ系障害)で、1コーナーで転倒した馬に巻き込まれて落馬し、21日に死去。 阿部正太郎(中央競馬・1956年落馬、引退)のち調教師として厩舎を開き、加賀武見を見出す。 矢倉義勇(中央競馬・1959年落馬、一時回復するも1962年死亡) 柴田富夫(中央競馬・1960年落馬、死亡)3月3日の東京競馬場での障害試験中の落馬により殉職。この事故を契機に、調教中でも救急車が馬場内に待機する様になった。 茂木光男(中央競馬・1960年落馬、死亡) 目時重男(中央競馬・1960年落馬、1961年死亡) 近藤武夫(中央競馬・1960年落馬、1961年死亡) 菅村恭一(中央競馬・1961年落馬、死亡)12月9日の阪神競馬第8競走で、4コーナー通過後に落馬転倒し、21日に頭部外傷による尿毒症を併発して死去。 志村功(中央競馬・1964年落馬、死亡)8月15日の中京競馬第3競走(速歩)で、発走直後に馬に蹴られた後に落馬し、頭部陥没骨折により即死。 小泉明東(中央競馬・1969年落馬、死亡)東京競馬場での調教試験中に落馬、殉職した。 小野定夫(中央競馬・1969年落馬、死亡) 石井正善(中央競馬・1969年落馬、死亡)『馬事公苑花の15期生』。 丸目敏栄(中央競馬・1971年落馬、引退)引退後は調教師として競馬界に復帰したが、1980年8月4日に急死した。 秋元松雄(中央競馬・1976年落馬、1977年死亡)1976年の中京競馬で落馬し、翌1977年1月28日に死去。 佐藤政男(中央競馬・1977年落馬、死亡)『馬事公苑花の15期生』。4月24日の東京競馬で、騎乗馬の手綱が切れ、その後騎座変によって落馬した際に頭を蹴られ、翌25日に死去。 坂本恒三(中央競馬・1977年落馬、死亡)9月3日の函館競馬最終競走で、1コーナー通過時に馬が故障して落馬。脳挫傷により7日に死去。 角田次男(船橋・1977年落馬、引退)落馬事故の際に騎乗していたサギヌマグツドリーは、この年の関東オークス優勝馬。 松若勲(中央競馬・1977年落馬、死亡)京都競馬の平地競走で落馬(7頭が落馬)。中央競馬の1レース落馬頭数ワースト2位タイである。 町屋幸二(中央競馬・1978年落馬、死亡)8月12日の新潟競馬第1競走(アラ系3歳未勝利)で、3コーナーで落馬。病院に運ばれたが、肋骨骨折による内臓損傷により死去。 福永洋一(中央競馬・1979年落馬、引退)『馬事公苑花の15期生』。毎日杯で落馬。 坂本敏美(名古屋・1985年落馬、引退)後の東海地区のエース・安藤勝己が敵わなかった天才として知られる。 斎藤仁作(中央競馬・1987年落馬、死亡)東京競馬の障害競走で落馬。 玉ノ井健志(中央競馬・1992年落馬、死亡)中山競馬の平地競走で落馬。 岡潤一郎(中央競馬・1993年落馬、死亡)京都競馬の平地競走で落馬。一部においては今日でも「武豊のライバルに成り得る騎手だった」と評されている。 柴田政人(中央競馬・1994年落馬、引退)『馬事公苑花の15期生』。東京競馬の平地競走で落馬。引退後は調教師に転業し、2019年の定年まで務めた。 清水英次(中央競馬・1994年落馬、引退)この時の後遺症が長く尾を引き2005年7月5日に死去した。 北川和典(中央競馬・1995年落馬、1998年引退)小倉競馬の障害競走で落馬。 北村卓士(中央競馬・1998年落馬、2000年引退)新潟競馬の障害競走で落馬。 松井達也(浦和・2000年落馬、死亡)浦和競馬で落馬。 竹本貴志(中央競馬・2004年落馬、死亡)中山競馬の障害競走で落馬。騎手デビューしてわずか3週目での惨事だった。 常石勝義(中央競馬・2004年落馬、2007年引退)『競馬学校花の12期生』。デビュー年の1996年にも障害競走で落馬、脳挫傷で一時重態となっていたが復帰した。しかし、2度目の落馬事故で再び脳挫傷など受傷し、騎手引退を余儀なくされたが、その後、障碍者馬術競技の選手に転向した。 佐藤隆(船橋・2006年落馬、死亡)浦和競馬で落馬、入院加療を続けるも3か月後に死去。 石山繁(中央競馬・2007年落馬、2009年引退)阪神競馬の障害競走で落馬。騎手引退を余儀なくされたが、その後、障碍者馬術競技の選手に転向した(現在は馬術競技も引退)。 塚田祥雄(中央競馬・2007年落馬、2010年引退)函館競馬の平地競走で落馬。 佐藤哲三(中央競馬・2012年落馬、2014年引退)京都競馬の平地競走で落馬。引退後は競馬評論家に転業。 本多正賢(船橋・2011年落馬、2014年引退・死亡)川崎競馬で落馬、入院加療を続けるも、騎手免許失効後の2014年11月に死去。 高嶋活士(中央競馬・2015年落馬、2016年引退)東京競馬の障害競走で落馬。騎手引退を余儀なくされたが、その後、障碍者馬術競技の選手に転向し2020年東京パラリンピックに出場している。 鈴木麻優(岩手・2017年落馬、2018年引退)盛岡競馬で落馬。引退後は競馬評論家に転業。 この他にも、調教中の落馬事故で死亡したり、騎手業からの引退を余儀なくされた例も存在する。
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